最近朝鮮事情所感5

最近朝鮮事情所感1 - 王蟲の子供
最近朝鮮事情所感2 - 王蟲の子供
最近朝鮮事情所感3 - 王蟲の子供
最近朝鮮事情所感4 - 王蟲の子供
 

当時の朝鮮の教育事情。ここは一般に思われてるのと少し違うかもしれません。

従来朝鮮の教育は、ちょうど維新前の日本の教育のような有様で、各地方に郷校、郷学というのがあって青年を教え、また京城には成均館というのがあって儒生を教え、小学校に相当する書房というのは全国4万もあって、これは読み、書き、文を教えている。

こう見ると相当な数ありますね。識字率については色々な説があるようでよく分かりません。いずれにしても小学の制度を確立する必要があると認め日清戦争後、日本に倣って小学校令を頒布したそうですが、10年過ぎてようやく全国に50の小学校が出来たぐらいだとのこと。

 

その後学校の制度についての部分は省略。日本に関係ある部分だけ引用。

 朝鮮の教育で割合に効のあるのは日語学校で国中に30校ばかりある。京城学堂、開城学堂など多くは何々学堂と名付けている。これらは入校を望むものが絶えず、時運と共に益々増えて来ている。このほか西洋人が設けた教会に付属している小学や中学もある。 

 日本人のいる各居留地は流石に教育が盛んで…(中略)

 朝鮮は新式の教育が中々開けないのでそれだけ骨の折甲斐がある。各居留地とも内地に師範学校卒業生を採用する方針をとっているし、日本の教育家が身を捧げて朝鮮の教育につとめ、朝鮮を開発して日本の経営の資にするのは、男子だけでなく女子でも、日本として愉快な事業である。

次に朝鮮の文字について。色々詳しく書いてあるが、ここで紹介してもしょうがないのでハングルを制定した世宗王についての感想の部分だけ引用。

この世宗王は博学大才の人物で文学の奨励には特別の力を注がれたエライ王様である。

次に朝鮮の宗教について。

朝鮮は多神教の国で、歴史以前から天地日月、星辰、山川、鬼神などを祭ったり、または猛虎を拝するなどが行われていて、未来よりも現世の幸福、吉凶、疾病などを祈ったり占ったりするのを主としている様子である。 儒教が盛になり、また仏教が入ってきてから、その信者も増えて来たけれども、しかし現世的の多神教が一般的に広まっていて、これを司っているのは巫女と占者である。

この後詳しくここもなかなか面白い記述が続くが割愛。日本と関係ある部分だけ。

日本の東本願寺は力を朝鮮にも用い、今では京城、仁川、釜山、元山に別院を設け僧侶を各2人づつ置いている。木浦、鎮南浦には出張所を設けている。また日蓮宗京城、釜山、仁川、元山に教会堂を置き、僧を各1人づつに任せている。これらの教会堂は加藤文教師という人が単独で作ったので、本山の補助があるわけでもないのである。感心な人だ。このほか、浄土宗知恩院派も近頃京城、仁川、釜山に出張所を設けて僧各2人を置いている。しかしこれらは皆在留日本人を目的としている。朝鮮人の感化を目的として設けているのは全羅道光州の実業学校だけである。この校を建てるには奥村五百子が尽力し、その付属の説教所には兄の奥村円心師が住んでやっている。

今回は最初の学校についてが興味深かったとこでしょうか。しかし4万も少学校みたいのがあって人口が1000万とすると、もしちゃんと機能してたなら結構な教育水準になりそうだけど、そういう風にも見えないのはどういうことなのか、という気はしますね。

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続いて朝鮮の国体について書かれています。ご想像の通り上から下まで人心腐敗してる惨状が述べられえてます。まあ一例を引用。

ところがこの大韓国はほかの国と違って、その王室は決して国民とその喜び・悲しみを共にするということはない。ただ貴族のみは王室と利害を共にしているようであり、また国王の信任を得たものは其の恩沢に預かって利益を受けるが、そのほかはそうでもない。であるから誰も彼も国王に取入ろうとして、魂胆をめぐらし、運動やら紛争軋轢やらと実に醜い状態を極め、したがってその間に立って侍女や宦官、官妓、巫女などが旨い汁を吸うのである。

(中略)

だから常民共が王室を見ることは旅人が王室を見るのと同様で、王室に大事があろうが一向に平気なもの。気にもかけない。かの明治27年の王宮の事変の時も、また明治37年今の王宮である慶運宮が火事で焼けた時でも、京城の人民らはガヤガヤ王門の外に集まって来て、例の長キセルで煙草をふかしながら、互いに笑いあい語り合って面白そうに見物しているという有様である。

(中略)

 また宦官は役人になることが出来ないが、野心はあるしという親達が、子供が幼児の頃に去勢し、大きくなってから宦官に出す。宮に出入りし多くの仕事をするので賢いやつは大いに権限を得るに至るのである。

明治27年の王宮の事変というのは甲申事変のことですね。

 

次に朝鮮の政治体制ですが、もともと唐や明などを参考にしており制度上はそれなりに発達しているのだが、実際には運用も乱れきって機能してないというようなことが書かれてる。というわけで1897年に井上馨の忠告で組織を改めたそうですが、あまり役に立たなかったようです。

 

次に裁判についてですが、これもご想像の通り賄賂拷問がまかり通ってたようです。また一部だけ引用。

ことに小役人が賄賂をとる弊害は実にお話にならない程で、全く無罪の人でも時に捕えてきて賄賂を要求し、思うように賄賂を出さなければ実刑に処することがある。また誰かに怨みを持ったというだけの人に対してもこの忌まわしい手段をとることがある。 

 

近年になってこれらの役得を欲し、賄賂を払って郡守県令になる者も多い。したがって彼らは払った賄賂の額を取り返すために、罪も無い人民をヒドイ目にあわす者が出るようになった。

これも制度を日本式に改めたが賄賂拷問が続いてるとのこと。

 

           次に朝鮮の党派について。

日本党とか支那党とか、ロシア党とか、時により色々名をつけるけれど、これも一時の便利都合の上からのことで、日本党とて永久に日本党ではなく、支那党とて何時までも支那党というわけではない。 

 

彼らの事大根性と言うのも、別に根底にある根性でもなく、ただ大国に頼っていれば自分の地位が安全であるということから、その時々の勢力にある自分の都合の良いような方法に頼るだけで一定した主義ではない。 

 

日本が一番勢力があれば、彼らはこれまでの縁故や関係には拘わらず日本について来る。しかし日本についているその間にも、公使についているのが地位が安全であるかとか、駐箚軍司令官の機嫌を取った方が地位を得るのによいかとか、色々考えをめぐらし、小策を使い、お世辞追従を振りまくのである。もし彼らのお世辞追従がうまく取り入れられると、そこで彼らは公使党とか司令官党とか言い出し党派が出来るのである。各国が勢力を伸ばせば各国の党が出来、一国が勢力をもっても其の中で色々の種類の党が出来上がるのである。 

 これも恐らく当時の朝鮮についての皆さんの想像通りでしょうかね。この辺が日韓の歴史を語る時に説明しづらいところですよね。

 

これら政界の有様を別にして党派らしい党派は東学党活貧党、負褓商ぐらいだと。

 

東学党東学党の乱で日清戦争のきっかけにもなったのでまた書く機会もありましょうが、著者の言うには古くからある団体で学派とも宗教とも言えない一種曖昧な迷信団体とのこと。

 

活貧党は貧民を活かすという意味だから社会主義的な党派かと思いきや、富豪の物を強奪する群盗に毛の生えたようなものとのこと。

 

負褓商はもともと行商の団体で、盗賊も多いから隊を組んで往来したもので正常な商人団体だったが、一度義勇兵として働き特権を与えられてから、横暴な怪団体になってしまったとのこと。

 

一般に会団を好む傾向があるが皆長く続かないとのこと。

 

続きまーす。今回は全体的にイメージ通りといった感じでしょうか。

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最近朝鮮事情所感2

最近朝鮮事情所感1 - 王蟲の子供

 

連載第二回です。まず当時の朝鮮の人口について。

人口は1000万人という。しかし確かな調べは分からないので、800万人という人もいればまた1200万人いるという人もある。外国人は、日本人が4万、支那人が4000人、アメリカ人が200人、イギリス人が100人、そのほか外国人あわせて100人位だという。 

 外国人の人数的には日本人が圧倒してるんですね。これで商売がまだ不十分なら著者が情けなく思うのも分かる気はします。ロシア人があんまいないのは日露戦争後だからでしょうか。或いはあまり人は派遣してなかったのか。少人数で利権だけ手に入れられるならそうすればよかったのにね。暫く後の満州もそうだけど人口問題で移民をしなければいけない理由もあったんでしょうが。ハワイへの移民も有名ですよね。Wikipediaによると1868年から1924年の排日移民法まで約22万人だそうです。黄禍論が盛り上がってからは南米が主になった模様。

ハワイにおける日本人移民 - Wikipedia

【株式会社 ギアリンクス】 南米日本人移民について

 

釜山に上陸して、龍頭山を上って四方の島山を望み、また草梁から汽車に乗って車窓から四方の山々の禿げて木のない所、出水する度に田畑を荒らしている所などを見れば、誰でも朝鮮には山も無く川も無いと思うだろう。

よく言われていることではありますが、治水などの観念はなかったようで。

朝鮮100年の経営を思えば姑息な考えをせずに、まずこの川を作り,川を固めて、川流を完全にし、運輸の便利を十分にし、そして作物の良く出来る土地を安心して作ることの出来るよう、手を入れ物をかけて十分の財産となるようにしたいと思う。

次に山に関してですが、日本の拡張的な感じが書かれていて(引用の終わりの方)、日本に都合に悪い部分はなるべく書くという方針からちょうど良かろうと思うので長めに引用します。この最後のところを省いて引用する人は如何なものかと思うでしょう?

山高きが故に貴からずで、朝鮮の山は殆ど禿山であるから、朝鮮に山無しといっても差し支えない。

 

伐っては使い、取っては焚き、そうしていかに禿げようが全く構わず、植林など更に考えないどころか、我が先と競って伐り取って、どうなるかなど顧みなかったものであるから、それで遂に今日のような哀れな有様になって至る。したがって川にも影響して来た次第であると思われる。 

 

しかしこれは朝鮮ばかり笑われる義理ではない。日本でも近頃非常に無茶伐りし林を絶やすことが盛んであって、一時は至る所禿山が沢山になったのを、幸いに近頃気がついて植林ということが広まって来たのであるが、元々山というものは取るばかりで育てるという考えはなかった。そこで世間の諺にも、「後は野となれ山となれ」というものもあるが、決して山や野はそのように扱うものではない。 

 

悲しいことに朝鮮人はまだ気がつかないから山々は皆禿げているのであろう。そこで山に大雨が降ると水源を保たないから川水ははすぐに氾濫して、濁流が勢いをもって田園を害するのである。 

 

山も無く川も無いとすれば、したがって田園も無い人家も無い、遂には朝鮮も無いということになる。それは極端中の極端の話だが、朝鮮の川は普段でも澄んではいない。大抵赤黒い濁り水で川の底を見るなどめったに出来ない。 

 

もしも日本の力で朝鮮の山を作り、朝鮮の川を作ったなら、そこで田園も出来れば財産も確実になってくる。したがって村も出来れば家も出来る。国も富む。朝鮮も出来る。そうなれば朝鮮は日本がこしらえたので、朝鮮は日本のものになる。

朝鮮は日本のものになる。」

野心満々でいいですねえ。日本の森林保全について気になったのでちょっと調べました。

http://www.rinya.maff.go.jp/j/kikaku/hakusyo/25hakusyo/pdf/6hon1-2.pdf

江戸時代に大都市で木材の需要が増大したことから森林伐採が深刻化し、対策が取られるようになったそうです。明治維新以降同じような状況があったのでしょうね。

 

その後いくつかの山について書かれてますが、朝鮮にも南部はほとんど禿山だが朝鮮全体を見れば良い山もあると書いてある。なんで南部に禿山が多いんでしょうか。

 

その後、朝鮮の城について書かれてます。大して面白くないので省略。

 

次に京城(ソウル)の様子。日本人の関係のあるとこを書くと、日々日本人が増えており、警察、学校、銀行などの機関は皆備わりなかなか盛んだとのこと。

 

次に王宮について。

朝鮮の王宮は3つある。3つとも京城にあって慶運宮、景福宮、昌徳宮というのである。慶運宮は新王城を構え、今の国王の御座所で、また旧王城の慶熙宮を西闕、昌慶宮を東闕と呼ぶ。

(中略)

この景福宮は元々太祖・李成桂の建設で、その後豊公文禄の役に兵火にかかり荒れていたのを興宣大院君が摂政となった時に、朝鮮国中の珍しい木や良い材を人民から献納させて、1000万円の大金をかけて再興したので、朝鮮の王宮としては実に結構壮大で、中々新王城の慶運宮とは比べ物にならない。国王・高宗も元はここに居られたのであるが、かの明治28年10月8日の王妃閔氏暗殺の騒ぎから王はここを嫌い慶運宮に移られたのである。

 閔氏暗殺と関係のあることなので色々書きたいこともあるがこれはまあ別の機会にしましょう。他にも興味深い記述もあるが長くなるので省略。

 

う~ん、意外と長くなりそう。第三回に続きます。

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最近朝鮮事情について書く理由

最近朝鮮事情所感1 - 王蟲の子供

 

第一回を書いてから書くのもなんですが、これを書こうと思った理由はちょっと今の保守の一部に嫌韓や戦前礼賛の傾向が見受けられるのに警鐘を鳴らしたいというのがあります。

 

はっきり言って今の政治を見てもこれまで接したコリアンとの経験を通じても私は韓国朝鮮は嫌いですし、戦前の日本が中韓や左翼が言うほど悪いことをしたとは思ってません。しかし結局戦前の日本が第二次世界大戦の敗戦という結果を招いたことの反省はしなくてはいけない。善悪ではなく利益のためにそう思います。反省というのは悪いことをして申し訳なかったと表明することではなく、次に失敗しないためにするものでしょう。

 

そういう訳で出来れば戦前に書かれた本を読むといいのではないかと思いますね。文学以外は需要がないので手に入りやすいのは限られてると思いますけど。この「最近朝鮮事情」は短いし読みやすいし(イザベラ・バード朝鮮紀行」も面白いが翻訳文だからちょっと大変かも。出来たらそっちも纏めて書きたいけどね。)、他には石原莞爾の「最終戦争論」なんかも超短いからおすすめです。石原莞爾は当時から異端児ではあったものの、当時の空気の一端を感じることは出来るでしょう。まあ石原莞爾はかなりイっちゃってる感じですけどね。あー、そう言えば満州国シリーズを書いてたけど忘れてた。そのうち再開します。

最近朝鮮事情所感1

日韓併合以前の朝鮮の見聞録というとイザベラ・バードの「朝鮮紀行」が有名だけれども、日本人の書いたものに「最近朝鮮事情」というものがあります。「朝鮮紀行」は日清戦争前後のことが書かれてますが、「最近朝鮮事情」は日韓併合少し前、1906年発行だそうなので、なのでだいたい10年ぐらいの時代差でしょうか。個人的に興味深かった部分を適当にメモ代わりに何回かに分けて書きます。日本の印象の悪いとこもちゃんとというかなるべく漏らさずそこは書こうと思います。朝鮮で日本人が勢力を伸ばしてるのを喜んでたり、日本の進出が上手く行ってないところを悔しがってたり、今の時代から見ると問題発言も多いかもしれないが時代的に素直な感覚なのかも。初回は港と鉄道のお話が主でーす。

 

最近朝鮮事情 - Wikipedia

インターネットでは朝鮮人の衛生観念のなさについて述べる時によく引用されてるようですが、本書の目的は、朝鮮に進出したがまだ行く日本人が少ないのでもっと行こうぜ!ってことで正に当時の朝鮮事情を紹介したものであります。特に商売での進出であり、これはビジネスになりまっせ、みたいなことが沢山書かれています。最初の緒言の一部を引用しましょう。

したがって我が国と朝鮮との関係は 深くして、かつ久しいことも中々で、神功皇后三韓征伐、豊臣太閤の朝鮮征伐から、近くは明治15年、同17年などの日清の戦役、またこの度の日露の大戦争など、皆朝鮮に関係しないのはない。かつ我が国内の内輪騒動でも、江藤新平佐賀の乱にしても、西郷隆盛西南の役にしても、皆朝鮮問題に因らないものはないのである。

かように我が国の政治外交でまったく朝鮮問題に関係しないのは少ない位で、朝鮮の為に、我が国民の生命財産心血などをどれだけ費やしているか分からない程であるから、したがって朝鮮の様子、内情などは、我が国民はよく分かっていなければいけない筈である。

(中略)

朝鮮に移住せよ、朝鮮に殖民せよ、実力の扶植開発をせよ、運輸は開けた、交通の機関は出来たといっても、なかなか人々は案外に乗り込んで行く者が少ない。

この先暫くは朝鮮の三大港が中心に書かれています。イザベラ・バードの「朝鮮紀行」にも書かれていますが、釜山には多く日本の居留民(3千軒の日本人家)がいたようです。憲兵隊、病院、学校、銀行、会社、電灯、電話、水道、下水道も整備されてたとのこと。

朝鮮地内にこの日本の大市、見るからに心持ちがよい。

 

次に仁川。三大港の内、釜山は日本的、元山はロシア的であるのに対して仁川は世界的な雰囲気があったそうで。その中で輸出に関しては日本の商業が繁盛しているが、輸入では支那人が張り合って、その他西洋商人も侮りがたい。日清戦争支那政治勢力を追い出したのに遺憾だとのこと。明治16年に開港した当時は数戸の食事所が点在してただけなのに、既に5万人の人工を抱える都市となっていた模様。

 

次に元山。人口4万人あまりのうち、日本人3000人ほど。清国人居留地は戸数20軒ばかりにもかかわらず商売はずっと日本の上で納税額は日本商人の2倍。実に残念と。

 

次に鉄道事情。駅長、駅員の主な者は日本人で日本巡査もおり、大きな駅には憲兵もいる。小役には朝鮮人もいるが日本語を使っている。

この様に日本の鉄道で日本語で、朝鮮内地の縦横十文字に乗り回すことが出来るのは何と愉快なことではないか。否、愉快なばかりではない。これ伴う実利実益は実に莫大なものである。

満鉄もそうですが、鉄道の利権というのはとても重要なんですねー。施設権の獲得にまごついて一部モールスに取られたことなどを情けないと反省しとる。日露戦争の後始末ではこのようなことのないように周到にやらねばと書いてる。しかし満鉄もどうだったんでしょうねー。これはいずれ改めて書くつもり。

この大金をかけ、かつ全国をかけ、心配に心配して出来た鉄道でもあり、これから国民は十二分に利用活用しなくてはならない。どしどしこれを利用して朝鮮内地に入り込み、大いに手腕を振るい一仕事も二仕事もしなくてはならない。

 

この鉄道により我が国と朝鮮との関係を親密にし、近よらせて日本大発展の基をなし、これを京義鉄道と相連ねて、おいおい満州鉄道に続けて支那内地との交通路にし、またロシアのシベリア鉄道にも連絡して世界の大交通路にしなくてはならない。

なかなか勇ましいです。この少し後(1909年)の朝鮮での日本人の様子を夏目漱石が書いていたのを思い出したので引用します。

歴遊の際もう一つ感じた事は、余は幸にして日本人に生れたと云ふ自覚を得た事である。内地に跼蹐してゐる間は、日本人程憐れな国民は世界中にたんとあるまいといふ考に始終圧迫されてならなかつたが、満洲から朝鮮へ渡つて、わが同胞が文明事業の各方面に活躍して大いに優越者となつてゐる状態を目撃して、日本人も甚だ頼母しい人種だとの印象を深く頭の中に刻みつけられた 同時に、余は支那人朝鮮人に生れなくつて、まあ善かつたと思つた。彼等を眼前に置いて勝者の意気込を以て事に当るわが同胞は、真に運命の寵児と云はねばならぬ。

韓満所感 - Wikipedia

 この後はしばらく沿線の様子の描写が続きます。興味深かったのは何日里浦のところ。

この地はだんだん衰退していくにも拘わらず、この地の人民は進歩の思想もあり、気概にも富むと言われている。髪を切り服を改めて進歩を唱える一進会員も多い。 

 一進会は開化派で日韓併合を求めた朝鮮人のグループですね。何日里浦ってどこ?って感じですが新安州から川向うとのことなので多分平安道の南端、いずれにせよ今の北朝鮮西部。当時はまだ一般の朝鮮人は断髪してなかったんですね。ちょっと調べたら1895年に断髪令が出されたがその後、撤回されてるそうです。

断髪令 (朝鮮) - Wikipedia

 

では一旦切ります。

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最近朝鮮事情所感3

最近朝鮮事情所感1 - 王蟲の子供

最近朝鮮事情所感2 - 王蟲の子供

京城の様子について書いてある部分ですが、国際関係について参考になることが書いてあるので長めに引用します。

京城は特に外国人の為にその居留地域をきめた専管居留地というものはなくて、城内至る所に何国人でも自由に雑居することが出来るようになっている。いわゆる雑居地である。 

 

この雑居地制は支那のやり方から由来している。元々支那は朝鮮を自分の属国のように取り扱い、大国の威をもって朝鮮にのぞみ、別に通商和親などの条約を結ぶこともせず、ただ貿易章程というものを定めて京城の開市を約束させた。また国境においては義州・会寧両府の開市をさせ、朝鮮と条約を結んで貿易をしている日本やアメリカにはこれが許されず、輸入税のごときも支那だけ低い率でやっていたのである。 

 

ほかの条約国は朝鮮に公使を置いているのにも拘わらず、支那は別に公使を置いてもいない。かの名高い日清戦争の時の哀世凱でも朝鮮駐箚公使のように言う人もいるが、あれは公使ではなくて、欽差大臣とか何とかいう名義であったのである。

 

ところが明治16年に英国やドイツなどが朝鮮と条約を結び、輸入の税率も京城の開市も支那と同様にしたので、その年の末から我政府も朝鮮政府に迫って、最恵国条約によって貿易の規則を改正して各国の間に不釣合いのないようにと申し込んだのである。 

 

時の公使・竹添進一郎氏は度々朝鮮に迫って、英韓条約の条文を引き合いにだし大いに論じかけたけれど、朝鮮政府は色々とほかの事にこじつけて日本の要求を容れないものであるから、常時京城に在留している日本人は非常に残念がって不平を唱えていた。しかし、竹添公使はいよいよ我が正当の要求を容れなければ覚悟する所があると気勢を示したので、朝鮮政府も大いに恐れて、とうとう京城の雑居は勿論のこと、永らく日本の要求を拒んでいた貿易規則の改正をも遂に断行することになったのである。

条約関係はなかなか難しいけれども、清国の朝鮮に対する属国扱いというのはよく分かりますね。貿易章程というのはこれのようです。

中朝商民水陸貿易章程 - Wikipedia

日本は1876年に日朝修好条規という不平等条約を朝鮮と結んでるのは確かですが、その後結ばれた列強と朝鮮との条約とはどう違うんでしょうか。いまいちよく分からなかったのでそのうち調べるか。英韓条約のWikipediaなど見ても日朝修好条規と比べて説明が簡素すぎ。

日朝修好条規 - Wikipedia

英朝条約 - Wikipedia

いずれにしても日本人は不満に感じてたんでしょうかね。

 

他の記述としては居留地は決まってないものの実際にはある程度固まって住んでおり、日本人の居留地居留地民債を起こして他と違って不潔じゃないことなど日本の機関、設備の充実を書いています。飲料水について林田亀男という人が私設で水道を作ったらしいのが面白かった。

 

次に開城について。高麗の首都だったので古跡から発掘される焼き物の素晴らしさなどが書かれている。当時は既に朝鮮の焼き物は粗悪なものだったようで、朝鮮人の使ってるもので良いものは日本製であり、これを見て愉快に思う一方、一層鋭意に改良しなければならないと気を引き締めています。

 

次に初めて知って興味深かったところ。

前に述べた通りこの地は高麗の旧都で、したがって多く残っている高麗朝の遺臣一族らは、義として李朝に使えるのは好まないというところところから、自然と皆商業に従事するという傾向がある。だから朝鮮内では比較的活気を帯び進歩的な有様が見えるのである。彼らはセッセと商業を勉強して、京城政界のゴタゴタなどその下らない喧嘩を冷たい目で見ているのである。 

 なるほど。朝鮮北部に一進会会員が多かったのもこのような背景があるんでしょうかね。著者は好意的に見てるようです。

 

次に平壌。さほど興味を惹かれる記述はなかったが最後にこんなことが。

平壌第一の名物は美人で、朝鮮の名古屋だと言う人があるくらいで、京城の宮中に勢力を持っている官妓(宮廷に仕えて歌舞を行った妓女。朝鮮の妓と舞いの章で詳細)は大抵平壌から出るので、官妓養成の学校まであるという。なんとも奇態な話ではないか。 

 名古屋と言えば今は3大ブスの産地と言われてしまってるようですが、当時は美人の産地とされてたんでしょうかね。喜び組も多く排出してるんでしょうか。

 

次に大邱と江景について書かれてるが日本の影響が及び朝鮮人もこうもり傘を持つようになったことなどが書かれてる。この手の記述は他の都市と大同小異なので省略。

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閉ざされた言語空間 日本、中国、韓国

VPNと言って何だか分かる人はどれぐらいいるんでしょう。検索すると主に企業などでビジネス用途で使われることが多いらしく、まあ私には関係のない世界なので全然わからないのですが、中国人とインターネットで話してるとよく聞く言葉です。

 

ご存知の通り中国ではインターネットがかなり制限されており、Line、FacebookInstagramなどのSNSWikipediaも見れなかったりします(解禁された時期もあるようですが)。しかしVPNを利用すると見れるようになります。どのぐらいの人が利用してるか正確には分かりませんが、多数派ではないが珍しくもないぐらいでしょうか。

 

そうするとですね、当然我々と同じような情報を得ることが出来るので、歴史問題、政治問題についても割と面白い会話が出来ます。もちろんVPNを使ってる人が政治や歴史に興味を持ってる人ばかりではありませんので、中国人の中ではマイノリティーではありましょうが。

 

韓国はどうなってるのかと比較してしまいます。韓国で中国のようなインターネット制限はないので語学力の問題を除けばアクセス出来る情報は一応同じです。しかし彼らの対日歴史観というのはびっくりするぐらい一様なので、本当に思想信条の自由、表現の自由言論の自由があるのか疑わしくなるほどです。

 

こう見ると江藤淳の「閉ざされた言語空間」というのもなんか納得出来るんですよね。20~30年ぐらい前は大臣が戦前のことをちょっと肯定的に発言しただけで就任したばかりの即日辞任に追い込まれてた訳で、当時私は繰り返されるこの流れを見て、この人達は大臣やりたくないのかな?とすら思ったものでした。

 

そう考えると韓国のことも笑えたものではないなあ。