最近朝鮮事情所感1

日韓併合以前の朝鮮の見聞録というとイザベラ・バードの「朝鮮紀行」が有名だけれども、日本人の書いたものに「最近朝鮮事情」というものがあります。「朝鮮紀行」は日清戦争前後のことが書かれてますが、「最近朝鮮事情」は日韓併合少し前、1906年発行だそうなので、なのでだいたい10年ぐらいの時代差でしょうか。個人的に興味深かった部分を適当にメモ代わりに何回かに分けて書きます。日本の印象の悪いとこもちゃんとというかなるべく漏らさずそこは書こうと思います。朝鮮で日本人が勢力を伸ばしてるのを喜んでたり、日本の進出が上手く行ってないところを悔しがってたり、今の時代から見ると問題発言も多いかもしれないが時代的に素直な感覚なのかも。初回は港と鉄道のお話が主でーす。

 

最近朝鮮事情 - Wikipedia

インターネットでは朝鮮人の衛生観念のなさについて述べる時によく引用されてるようですが、本書の目的は、朝鮮に進出したがまだ行く日本人が少ないのでもっと行こうぜ!ってことで正に当時の朝鮮事情を紹介したものであります。特に商売での進出であり、これはビジネスになりまっせ、みたいなことが沢山書かれています。最初の緒言の一部を引用しましょう。

したがって我が国と朝鮮との関係は 深くして、かつ久しいことも中々で、神功皇后三韓征伐、豊臣太閤の朝鮮征伐から、近くは明治15年、同17年などの日清の戦役、またこの度の日露の大戦争など、皆朝鮮に関係しないのはない。かつ我が国内の内輪騒動でも、江藤新平佐賀の乱にしても、西郷隆盛西南の役にしても、皆朝鮮問題に因らないものはないのである。

かように我が国の政治外交でまったく朝鮮問題に関係しないのは少ない位で、朝鮮の為に、我が国民の生命財産心血などをどれだけ費やしているか分からない程であるから、したがって朝鮮の様子、内情などは、我が国民はよく分かっていなければいけない筈である。

(中略)

朝鮮に移住せよ、朝鮮に殖民せよ、実力の扶植開発をせよ、運輸は開けた、交通の機関は出来たといっても、なかなか人々は案外に乗り込んで行く者が少ない。

この先暫くは朝鮮の三大港が中心に書かれています。イザベラ・バードの「朝鮮紀行」にも書かれていますが、釜山には多く日本の居留民(3千軒の日本人家)がいたようです。憲兵隊、病院、学校、銀行、会社、電灯、電話、水道、下水道も整備されてたとのこと。

朝鮮地内にこの日本の大市、見るからに心持ちがよい。

 

次に仁川。三大港の内、釜山は日本的、元山はロシア的であるのに対して仁川は世界的な雰囲気があったそうで。その中で輸出に関しては日本の商業が繁盛しているが、輸入では支那人が張り合って、その他西洋商人も侮りがたい。日清戦争支那政治勢力を追い出したのに遺憾だとのこと。明治16年に開港した当時は数戸の食事所が点在してただけなのに、既に5万人の人工を抱える都市となっていた模様。

 

次に元山。人口4万人あまりのうち、日本人3000人ほど。清国人居留地は戸数20軒ばかりにもかかわらず商売はずっと日本の上で納税額は日本商人の2倍。実に残念と。

 

次に鉄道事情。駅長、駅員の主な者は日本人で日本巡査もおり、大きな駅には憲兵もいる。小役には朝鮮人もいるが日本語を使っている。

この様に日本の鉄道で日本語で、朝鮮内地の縦横十文字に乗り回すことが出来るのは何と愉快なことではないか。否、愉快なばかりではない。これ伴う実利実益は実に莫大なものである。

満鉄もそうですが、鉄道の利権というのはとても重要なんですねー。施設権の獲得にまごついて一部モールスに取られたことなどを情けないと反省しとる。日露戦争の後始末ではこのようなことのないように周到にやらねばと書いてる。しかし満鉄もどうだったんでしょうねー。これはいずれ改めて書くつもり。

この大金をかけ、かつ全国をかけ、心配に心配して出来た鉄道でもあり、これから国民は十二分に利用活用しなくてはならない。どしどしこれを利用して朝鮮内地に入り込み、大いに手腕を振るい一仕事も二仕事もしなくてはならない。

 

この鉄道により我が国と朝鮮との関係を親密にし、近よらせて日本大発展の基をなし、これを京義鉄道と相連ねて、おいおい満州鉄道に続けて支那内地との交通路にし、またロシアのシベリア鉄道にも連絡して世界の大交通路にしなくてはならない。

なかなか勇ましいです。この少し後(1909年)の朝鮮での日本人の様子を夏目漱石が書いていたのを思い出したので引用します。

歴遊の際もう一つ感じた事は、余は幸にして日本人に生れたと云ふ自覚を得た事である。内地に跼蹐してゐる間は、日本人程憐れな国民は世界中にたんとあるまいといふ考に始終圧迫されてならなかつたが、満洲から朝鮮へ渡つて、わが同胞が文明事業の各方面に活躍して大いに優越者となつてゐる状態を目撃して、日本人も甚だ頼母しい人種だとの印象を深く頭の中に刻みつけられた 同時に、余は支那人朝鮮人に生れなくつて、まあ善かつたと思つた。彼等を眼前に置いて勝者の意気込を以て事に当るわが同胞は、真に運命の寵児と云はねばならぬ。

韓満所感 - Wikipedia

 この後はしばらく沿線の様子の描写が続きます。興味深かったのは何日里浦のところ。

この地はだんだん衰退していくにも拘わらず、この地の人民は進歩の思想もあり、気概にも富むと言われている。髪を切り服を改めて進歩を唱える一進会員も多い。 

 一進会は開化派で日韓併合を求めた朝鮮人のグループですね。何日里浦ってどこ?って感じですが新安州から川向うとのことなので多分平安道の南端、いずれにせよ今の北朝鮮西部。当時はまだ一般の朝鮮人は断髪してなかったんですね。ちょっと調べたら1895年に断髪令が出されたが撤回されてるそうです。

断髪令 (朝鮮) - Wikipedia

 

では一旦切ります。

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