松岡洋右『東亜全局の動揺』対支外交
まず、当時の中華民国の現状について。
蒋介石の北上以来、統一したかに見えるが共産党が広大な地域で組織を擁しており、広東には別政府があり、張学良は蒋介石と提携しているが、強大な地盤を支配し必ずしも蒋介石の命令に服さず、他の北方軍閥は張学良と敵対し、蒋介石の南京政府に支配されているのは浙江省、江蘇省のニ省のみ。
このような中華民国の不統一については当時についての書籍等でも常に語られるところですね。ちなみに広東政府というと色々あるようですが、ここで言ってるのはこれでしょう。
広州国民政府 (1931年-1936年) - Wikipedia
治外法権については日米等の大国とは主張の隔たりが大きく話がついてないが、関税自主権については回収していたそうです。中華民国も新国定税率を採用し始め、これは世界中が自国産業保護のための関税政策に没頭しており、支那のみを責めるわけにはいかぬが、新国定税率により日本が一番大きな影響を受けることは考慮しておくべきだと。
更にアグレマン問題。
最近もアグレマンに関するニュースがありましたね。
韓国は「アグレマン」前に駐日大使を発表した 「北朝鮮一点買い」で延命図る文在寅(デイリー新潮) - Yahoo!ニュース
大使を発表する前に事前に当事国に承認を受けておくという外交規定ですが、この勧告の件は、承認する前に勝手に発表したってことですね。当時中華民国と日本の間にあったアグレマン問題とは、既に外交部亜細亜局長が「可承認」と書いたにも関わらず、小幡酉吉が対しになるのを拒否したということです。この問題についてかなり憤って松岡は書いてます。幣原外相の対応も痛罵しています。
次に蒋介石や王正廷による放言について。
一例として蒋介石の発言。
広東事件の裏面に日本の陰謀あり、陳友仁の赴日に對しては多量の武装彌薬を供給し、種々なる便宜を與へたという。その結果廣東軍の意気揚り、俄かに軍隊を進め、既に湖南衡州に達するに至った。之が為め中央は廣東に對し武力解決の已むなきに至った。日本は朝鮮にて支那人百數十名を惨殺し、満州では萬寶山を占領した。支那内亂の助長を敢えてする日本はに文明国の資格なし。
広東事件というのが何を指すのかよく分かりませんが、広州国民政府が成立したこと、或いはそれとの争いのことでしょうか。陳友仁という人はWikipediaを見る限り全く親日的要素のない、というより寧ろ反日的人物ですのでここで蒋介石の言っているようなことはあり得ないでしょう。仲間割れを日本のせいにしてるんでしょう。朝鮮で支那人を惨殺したというのはこれでしょう。
万宝山事件について支那は何の反省もしないのに対して、支那に原因(満蒙における鮮人の圧迫)のある朝鮮事件について幣原外相は叩頭陳謝。幣原の叩頭に一大排日で支那は報いた。
思ったより長くなりそうなので一旦切ります。