倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで⑨

倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで① - 王蟲の子供
倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで② - 王蟲の子供
倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで③ - 王蟲の子供
倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで④ - 王蟲の子供
倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで⑤ - 王蟲の子供
倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで⑥ - 王蟲の子供

倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで⑦ - 王蟲の子供 
倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで⑧ - 王蟲の子供
倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで⑨ - 王蟲の子供
倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで⑩ - 王蟲の子供
倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで⑪ - 王蟲の子供

 

 9 目でーす。毎度断りますが、倉山満さんの「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んでそれを一部要約して、それをについてあーだこーだ言う形です。本書の解説ではありませんので悪しからず。

 

それにしても今回も倉山さんの独擅場で、私としては「そうなんだったんだ。へー。」みたいな感じしかないので、ほとんど自分の意見は書いてません。まあそちらの方がいいという話もありますが。

チェコポーランドなどの小国は、国際連盟を使って日本を抑え込むことが、ソ連や将来復活するドイツからの脅威に対するモデルケースになると考え中華民国の味方へ。日本政府は国際世論と関東軍の板挟みに。

小国のスタイル。こういう力学も面白いですね。

若槻首相はノイローゼ、安達内相のが二大政党による「協力内閣」を提案。これは与党第一党の総裁と野党第一党の総裁の二人だけが総理大臣候補である「憲政の常道」の放棄を意味する。優柔不断な若槻首相は重臣に相談に回り、これが重臣ブロックを排撃する右翼に利用される。天皇自身すら誹謗中傷の対象となるビラまで撒かれる。これに対して西園寺公望は「陸軍にアカがいる」と決めつけるが、当たらずとも遠からず。橋本欣五郎などの資金源はソ連に行き着く。(三田村武夫大東亜戦争スターリンの謀略』)

 戦前の右翼は(戦後も?)左翼にそっくりだったり、結果日本に仇なしてることが多いので、どこまでソ連とかの関与があるのか判断が難しいですね。将来的にもどこまで明らかになるのか。。。

二大政党による「協力内閣」に対して、政党政治家以外を首班とする工作を「挙国一致内閣」と称することもあるが、「憲政の常道」を放棄する点では同じ。きっかけこそ満洲事変だったかもしれないが政治家自身が放棄した。

関東軍の暴走とか、外国の干渉とかいろいろあったかもしれないが、政治家がだらしなかったんじゃねえの?ってことでしょうか。

かつての通説では安達が主導した「協力内閣」運動は、軍部に媚び「憲政の常道」を破壊した陰謀にすぎないというもの。それに対して異を唱え、「協力内閣」とは別の、宇垣一成朝鮮総督を首班とする「挙国一致内閣」構想は軍部を掣肘出来たはずだとの説が今の通説。旧通説のほうが正しいように思える。

二つの説が必ずしも二律背反ではない気がするがちょっとよく分かりませんでした。いずれにしても、著者は同意しかねるが現在の通説では宇垣内閣が発足してたらうまくいってたんじゃないかってことなんででしょうか。ここらは私の読解力不足のためよく分かりませんでした。ちなみに本書では「協力内閣」と「挙国一致内閣」を明確に区別してますが、区別せずに使われることも多いようです。

井上準之助が「協力内閣」反対の旗幟を鮮明にすると民政党のほとんどは「協力内閣」運動に背を向ける。弱気だった若槻首相、幣原外相も、井上準之助指導力で立ち直っていく。若槻内閣は「国際社会の信用を取り戻すために関東軍を統制する」で一致。外国は外相の幣原が抑える。関東軍参謀総長の金谷範三が抑える。関東軍は錦州城を前にして泣く泣く引き上げる。当事者能力を取り戻した若槻内閣に、英仏、国際連盟の小国、連盟非加盟国のアメリカも信頼を寄せる。リットン調査団を受け入れる代わりに満州における匪賊討伐権を認められる。

通説では日本の惨敗だが実際は大勝利。当時の人は分かってたので報道に沸き返る。井上準之助指導力関東軍の独走を押し返す。

柳条湖事件が9月18日、国際連盟での巻き返しが12月10日です。

安達謙蔵内相の側近、民政党顧問の富田幸次郎が、政友会幹事長、久原房之助と「協力内閣」樹立の覚書を交わし、12月10日に首相官邸に突き付け履行を迫る。若槻は拒否し、首謀者安達を問い質す。休憩中に安達は家に帰り引きこもり。当時は大臣が一人でも造反したら総辞職をしなければいけない時代。しかし慣習法に過ぎず、安達を罷免すればよかった。翌11日若槻内閣総辞職

ジュネーブからの第一報は10日朝、11日の午後の新聞には「日本外交大勝利」の文字が踊っていた。一日ずれていれば政変にならなかったかもしれない。

西園寺公望は若槻民政党内閣続投か、犬養毅政友会内閣に政権交代か悩む。「陰謀による政権交代は認めない」と「政策の行き詰まりには政権交代」。今回はどちらの解釈が正しいのかが、元老に委ねられた。世間はどう見てたか。新聞は閣僚全員の辞表提出を聞いて政権移行を当然と書き立てる。結局犬養毅に大命降下。

この政変は三井の陰謀との説がある。井上準之助の金解禁に三井は困っていた。真相は別にして西園寺の判断基準にはなった。

 安達内相により始められた政変の説明ですね。この政変を陰謀とすれば民政党内閣続投。政策の失敗とすれば政友会への政権移動。安達が覚書を突きつけるのが一日遅ければ世論が味方して辞表出すことなかったかもってことですね。

三井の陰謀説については本シリーズ⑥でも説明しました。

いずれにしても、著者は多くの優柔不断の政治家の責任が大きいと思っているようで、それに比し、井上準之助の芯の強さを大きく評価しているようです。金解禁という大失敗にも関わらず、です。

 

さて大命降下した犬養内閣、関東軍の動向はどう進んでいくのでしょうか?!

 

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