倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで⑤

倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで① - 王蟲の子供
倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで② - 王蟲の子供
倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで③ - 王蟲の子供
倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで④ - 王蟲の子供
倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで⑤ - 王蟲の子供
倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで⑥ - 王蟲の子供

倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで⑦ - 王蟲の子供 
倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで⑧ - 王蟲の子供
倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで⑨ - 王蟲の子供
倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで⑩ - 王蟲の子供
倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで⑪ - 王蟲の子供

 5回目でーす。毎度断りますが、倉山満さんの「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んでそれを一部要約して、それをについてあーだこーだ言う形です。本書の解説ではありませんので悪しからず。今回から第二章に入ります。

1917年、ロシア革命勃発。日本にとって実質的同盟国を共産主義者が乗っ取って敵となってしまった大事件だが、当初日本では警戒心なし。しかし翌年ニコライ二世一家が皆殺しにされ、やばい奴らだと吉野作造ら心ある日本の知識人は警戒し始める。が、主流ではなく、インテリは「左」の共産主義に靡き、それに反発する「右」が日本精神を絶叫するという、程度の低い争いが論壇の主流へ。

 

ロシア革命に対して英仏が干渉戦争を主導。日米は言われて訳も分からず出ていく格好。当時の日本の最高権力者である、原敬は媚米、拝米で、ウィルソンに言われるまま戦力の逐次投入。

シベリア出兵に関してはそもそも語られること自体が少ない上に、全く無意味だったとか否定的な面しかほぼ聞いたことがありません。倉山さんのチャンネルくららにもよく出演される宮脇淳子さんの「満洲国から見た近現代史の真実」によると唯一の功績は、シベリア出兵期間、援助合戦でシベリアに飢餓が生じなかったことだそうです。じゃあそれが他のマイナス面に見合ったかって話ですが。また同書によると、満洲建国時にハルビン白系ロシア人ユダヤ人がたくさんいたのは革命から逃げてきた人たちだとのこと。野球のスタルヒン、大相撲の大鵬の父、チョコレートのモロゾフなどはこのころ亡命した人だそうです。

 

ところでシベリア出兵について調べると、積極的出兵論と消極的出兵論があるとよく書かれてますが、それぞれにも色んな立場があるようで、なので書いてあるものによって誰がどういう立場なのか違ったりして非常に分かりづらいです。例えば山県有朋は積極的出兵論、消極的出兵論どちらに分類されるか、サイトによって違ったりします。多分山県有朋は消極的出兵だと思いますが、登場人物の立場が色々複雑なので考え違いされたのかも。いずれにしても、ヨーロッパから要請されて行ったのに、却って悪者扱いされることになるというね。

 

先に進みます。

日本はヨーロッパの戦後秩序を話し合うヴェルサイユ会議、アジア太平洋の秩序を話し合うワシントン会議に参加。ワシントン会議直前、原敬は暗殺されるが後継の人たちも原敬流の親米は揺るがず。明治以来、南下するロシアを最大の敵としている以上、親英米霞が関の伝統外交。だがこのころから老大国イギリスよりも新興大国のアメリカとの基調を軸にしようという「米英」派が主流に。しかしアメリカは誇大妄想の国でハーディング大統領は日英同盟を放っておいたら挟み撃ちになるのではと妄想し、大戦での借金のカタに日英同盟を破棄するようイギリスに圧力をかける。イギリスは日英同盟を切りたくないので、断ってよねというニュアンスで「アメリカも入れて三国同盟とかどう?」と持ちかけるが幣原喜重郎駐米大使が気づかず、日英同盟を解消し、何の昨日も果たさない四ヶ国条約に調印。以降親英派が発言権を失う。日英同盟破棄はアメリカがさせたのに世論は反英に。この時点でアメリカは妄想的に日本を恐怖してる。イギリスにとってアメリカは覇権を取って代わろうとする敵。三角関係でいがみ合ってる。喜ぶのはソ連だけ。日本ではイギリスの悪口は言うくせにソ連の悪口は全く言わない論者が幅を利かせる。「保守」「愛国」「日本精神」を絶叫するのに何故かソ連の悪口は言わない。

 

海軍軍縮条約アメリカは「日本がうちの7割持ってたら負けるから6割に」日本は「6割だと負けるから7割に」と言ってる。どちらも対等だと日本が勝つという前提。日本は勝てるはずのない強大なアメリカに愚かにも挑んで負けたのではない。この時点で日本は滅びようがない大国。なのに滅んだ。理由は頭が悪くなったから。

日英同盟を解消し、四ヶ国条約に調印したことはよく批判されることで、それは妥当だでしょう。アメリカの反日的行動の一つとして語られることが多いと思うのですが、筆者はそれに加えて、日本が頭が悪くなったからだという主張です。だとするとなんでアホになったのかを知りたいです。

 

英国の「断ってよねというニュアンス」についてももっと知りたいし、ソ連の悪口を言わない愛国者についても知りたい。ソ連の悪口を言わない愛国者というとソ連のスパイかと想像力を働かせてしまいますが、著者の主張からすればこの時点ではソ連にそんなないはず。

 1922年の九カ国条約は、八カ国が中華民国主権国家になる機会を与えようという条約。当時の中華民国には北京政府と広東政府があり割れているばかりでなく省ごとに軍閥がいてバラバラで、そんな国と条約を結ぼうとは正気の沙汰ではないがアメリカが強硬に主張したので他の国も同意した。日本は喜んでアメリカに追従。満洲事変の遠因。

まさに当時の中国には他国と条約を結べる状態ではなかったと思います。話が戻りますが前回のエントリーで書いた21箇条要求についてですが、宮脇淳子さんの本によれば日本に亡命してた孫文と日本の民間人が結んだ中日盟約が21箇条要求の希望条項に似てるとのこと。当時のトップである袁世凱は預かり知らぬ盟約が、場合によっては国同士の条約になる可能性もあったということが正に当時の中華民国の条約遵守能力のなさの一端を表してますね。中日盟約(日中盟約)に関しては日本語のものはネットではあまり調べられませんでしたが、中国語のを一応リンク張っておきます。

中日盟約 - 维基文库,自由的图书馆

東亜同文書院大学記念センターの馬場毅さんによれば実物は早稲田の図書館にあると思うとのこと。彼の発言を一部引用します。

ただしその中でこの第5号については、大隈内閣ですら最終的に削除した内容です。私が今申 し上げた点はまさに第5号そのもので、日本政府ですら削除した内容です。ただしそういう部分だ けではなくて、中国にとっても有利な、日本側が中国側の関税自主権を回復することとか、領事裁判権の撤廃に賛成すること、これを認めるならば 日本側から援助するというのが日中盟約の内容です。

ちょっと話が21カ条要求についてに戻り過ぎてしまいましたね。多分シベリア出兵や第一次世界大戦について個人的に未消化なために今回のエントリーは内容がいつもに増してとっ散らかっちゃったと思います。

 

さてこのころの対米追従外交が満洲事変の遠因になったということはどういうことなのか、乞うご期待。

 

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