倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで③

倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで① - 王蟲の子供
倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで② - 王蟲の子供
倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで③ - 王蟲の子供
倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで④ - 王蟲の子供
倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで⑤ - 王蟲の子供
倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで⑥ - 王蟲の子供

倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで⑦ - 王蟲の子供 
倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで⑧ - 王蟲の子供
倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで⑨ - 王蟲の子供
倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで⑩ - 王蟲の子供
倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで⑪ - 王蟲の子供

 

では3回目行きまーす。しつこいようですが、本書をちゃんと理解したい方はお買い求めくださいね。これも誤解のないように毎回断りますが、引用じゃなくて要約を提示してそれにあーだこーだ言う形になっておりますのでご注意ください。

ポーツマス条約と北京条約の間に桂ハリマン協定というのがある。これを日本が反故にしたから日米戦争になったという説があるが、ハリマンは今の日本で言えば孫正義レベルの成り上がり物で財界主流ではない。小村寿太郎はそれより財界主流派(モルガン)と付き合おうと話をつけてきた。

保守論壇の重鎮で、桂・ハリマン協定を断ったことが日米戦争に繋がったという説を唱える人を、故人だから情けで名を秘すと著者が書いてるのは渡部昇一さんでしょうね。主流派云々の話は初めて知りました。Wikipediaによると満州への輸出額が日本よりも遥かに多い英米資本は満州市場に関心を寄せており、日露戦争で日本を応援したのに却って以前よりも門戸が閉じてるじゃないかと両国から抗議が来たとありますがどうなんでしょうか。Wikipediaの注では下記のように書いてあります。

^ マクドナルドの手紙の内容は、以下のようなものであった。「愚見に依レハ現時日本政府ノ取ル政略ハ即チ、露国ト戦争ヲ為シタル際日本ニ同情ヲ寄セ軍費ヲ供給シタル国々ヲ全ク疎隔スル日本ノ自殺的政略ト評スルノ外ナシ」(『日本外交文書』39-1)[33]

『日本外交文書』からちょっと探せなかったのですが、下記のサイトに「満洲問題に関する協議会」の「明治三十九年五月二十二日閣議決定」として載ってます。駐日イギリス公使のクロード・マクドナルドさんが伊藤博文に宛てた書簡の内容を伊藤博文がこの会議で述べたもののようです。

満洲問題に関する協議会 - 日本の歴史年表

いずれにしても小村寿太郎がモルガンと話を着けてきたから問題ないんだとまで言い切っていいのかは個人的には保留ですね。

関東軍とは関東州を守る軍。関東州とはポーツマス条約で得た、遼東半島先端部と満鉄附属地をあわせた租借地ポーツマス条約の追加約款により鉄道1キロメートルにごとに15名を条件に守備兵を置くことが出来る。関東軍1万5千はこれを遵守した人数。満洲全体は日本の約2倍の面積。まずは鉄道付属地だけを守れればいいだろうというつもりだったが、張作霖のような暴力団軍閥)がいた。初めはその人達を育てて現地を治めさせようと思ったが平気で人を裏切る人たちだと分かった。それを承知で付き合う陸軍と、正式な外交ルートで何としようとする外務省の路線対立が深まる。

 鉄道付属地がどの程度の広さか調べましたがこちらのサイトによると初めは約182キロで、徐々に拡張し1930年には約371平方キロまで拡大し、隠岐の島ほどの面積。現在の日本の面積が377,900平方キロ、満洲満洲国)は1,550,000平方キロほどです。どう比べて2倍という計算なのかはよく分かりませんが、いずれにしても満洲全体に比する鉄道付属地は当然微々たる面積と言えるでしょう。

日露戦争は露仏同盟と日英同盟の睨み合いが日露の一騎打ちとなった。露仏同盟対日英同盟がそのまま戦争すれば世界大戦になりドイツはこれを狙っていたが、英仏協商が結ばれそうはならなかった。英米が日本を助けたが、日本が勝ちすぎたために、牽制してきたというのは確かだが、日米戦争の遠因になるほどではない。アメリカで移民排斥運動も起こるが、結果、高平・ルート協定でお互いを太平洋の大国と認めあうということに。日本は安全になり、ドイツは完全包囲網の真っ只中でバルカン半島で大揉め。英米があんまり圧力かけるので日露協商で権益を守ろうとしたと多くの人は言い、部分的にはその通りだが、英米にとって経済権益に過ぎない満洲と領土、宗教、民族の絡むバルカン半島とどっちが深刻かって話。

 先程の桂・ハリマン協定のところと同じで、反移民などの反日的動きはそんなに大したことないという論調ですかね。その代わりというか、ウッドロー・ウィルソン大統領についてはボロクソに言っています。ウッドロー・ウィルソン大統領というと、国際連盟の設立を提唱したのにアメリカは参加しなかったとか、日本の提出した人種差別撤廃提案を否決したり、民族自決の原則を提唱したために却って紛争を招いたとか、教科書に載ってそうな程度の知識しかないので後々書かれてることは「おー、そうなんだー」って感じでした。その前にウィルソンの2代前、日露戦争当時のセオドア・ルーズベルトに関して。

黒羽茂氏の「日米外交の継父太平洋戦争への抗争史展開」によると悪化する日米摩擦に対応するためセオドア・ルーズベルトが立てた構想は下記の通り。

1、桂・タフト協定を利用して日本のフィリピンへの攻撃を未然に防ぐ。

2、アメリカ艦隊の世界周航を口実に大艦隊による示威行動を展開する。

3、高平・ルート協定により日本のフィリピンへのの野望を放棄させる

 

軍事的合理性を重んじる力の信奉者のセオドア・ルーズベルトは日本の力を分かっており、戦ったら危ない相手と戦争する愚か者ではないし、日本もそれを理解し振る舞ったのでしばらくは日米関係は良好。

本書とはまた関係ありませんが、セオドア・ルーズベルトについては色々と反日的というか、日本を非常に警戒する政策や、私信などもあり、インディアン絶滅政策を支持したり、日本以外に関しても少なくとも今の価値観からは「それってどうなの?」的な面が多いにも関わらず、日露戦争以前の親日的言動のみをピックアップされるのを見る機会も多い気がします。そういう意味ではもっと悪い点を多く書いても良さそうなのに、著者がセオドア・ルーズベルトを日米関係に関しては現実的に評価してるのはとても興味深い視点だと思いました。なーんてことを書いてたらタイムリーにこんなニュースが。

米自然史博物館のルーズベルト像、撤去へ 差別的との判断で - WSJ

あとこれも本書からは離れるのですが、桂・タフト協定Wikipediaにおける記述で個人的に気になった部分を、ここは引用いたします。

この協定の中で、桂は、「大韓帝国政府が日露戦争の直接の原因である」と指摘し、「朝鮮半島における問題の広範囲な解決が日露戦争の論理的な結果であり、もし大韓帝国政府が単独で放置されるような事態になれば、再び同じように他国と条約を結んで日本を戦争に巻き込むだろう。従って日本は、大韓帝国政府が再度別の外国との戦争を日本に強制する条約を締結することを防がなければならない」と主張した。

桂・タフト協定 - Wikipedia

 やっぱりね、朝鮮問題がどれだけ厄介であったかということは語られることがあまりに少なすぎると思います。どういうことなんでしょうかね。歴史戦という意味ではこういう知識は多く知っておく必要があると思いますので、見つけたら今後もその都度、ご紹介したいと思ってます。しかしこれの出典はWikipediaには示されていません。桂・タフト覚書は外務省によると下記のように書かれています。

残念ながら日本側原本は消失しています。そのため、外交史料館で編纂している『日本外交文書』第38巻第1冊(明治38年)には、アメリカの外交文書から同覚書を引用しています。

下記のページに資料はございます。

外務省: 外交史料館 日本外交文書デジタルアーカイブ 第38巻第1冊(明治38年/1905年)

上記の部分はここでしょう。

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さあ、今日はこの辺にしといたろかー。

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