倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで⑧

倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで① - 王蟲の子供
倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで② - 王蟲の子供
倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで③ - 王蟲の子供
倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで④ - 王蟲の子供
倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで⑤ - 王蟲の子供
倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで⑥ - 王蟲の子供

倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで⑦ - 王蟲の子供 
倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで⑧ - 王蟲の子供
倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで⑨ - 王蟲の子供
倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで⑩ - 王蟲の子供
倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで⑪ - 王蟲の子供

 

  8回目でーす。毎度断りますが、倉山満さんの「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んでそれを一部要約して、それをについてあーだこーだ言う形です。本書の解説ではありませんので悪しからず。

政党内閣政治への不信、幣原軟弱外交、大不況により民衆の不満が高まるが、エスタブリッシュメント(元老、宮中高官、財閥、政治家、高級官僚など)に比して「もはや信じられるのは軍人さんしかいない」となるかというとならない。当時の陸海軍の上層部こそ、エスタブリッシュメントに媚びて出生していった人たちだから。その嚆矢が田中義一。政友会総裁原敬の力が強くなるとともに、原に従い、ついに政友会総裁から総理大臣に。その一の子分が宇垣一成で、宇垣は事実上民政党の身内と化す。一方、政党内閣は、政変と言っても本人が辞めたいといって辞めてるのであり、政党内閣自体は強力な体制。大川周明などの民間右翼によるクーデター未遂事件などがあるが、夢のまた夢。 

 さてさて、政治家への不信が高って軍人さんへの期待が高まったわけではないとのこと。しかし満洲事変でヒーローの登場に熱狂したとなってるので、軍上層部と青年将校と分けてるということでしょうね。ところでたまに「威張ってる軍人さんもいた」みたいな証言に出てくる軍人さんはどういう人たちなんでしょうか。人数的にも多い下級兵、或いはその叩き上げの下士官なのか、どうなんでしょうかね。

 

本書では思想団体に関する言及はほぼありませんし、あった時にも大した影響ないみたいなスタンスに見えますが、論壇を軽視してるわけではありません。が、本書ではほぼ書かれてないので別書に当たりましょう。

民政党、政友会の二大政党は日本津々浦々に強力な地盤を構築しており、強力だが腐敗していた。強さの基盤は「予算」。選挙に勝てば予算を好きにできる状況がこの頃出来上がる。その最大の功労者が井上準之助。井上の信念に世論は支持を強め、金解禁によるデフレの予感の中にあっても与党民政党は総選挙で大勝。このような、内地では体制転覆できないから外地でやろうというのが満洲事変。しかも満洲事変には大義名分がありまくった。現地では日常的に、法的に日本人である朝鮮人が拉致されていた。石原莞爾がやろうとしたのは、満洲事変で満蒙問題を解決し、政党内閣と幣原外交を葬り去る一種の反政府革命だが、自分たちの独走に政府が追随するの必要な成功率の低い賭け。だから国民の賛同を得やすい満蒙問題(拉致問題)を争点にした。

政党内閣の強さの基盤を作ったという井上準之助が蔵相に就いたのは1929年。その前にも第二次山本内閣で蔵相だったがここで言ってるのは1929年。満洲事変は1931年。腐敗するほど強い二大政党の地盤と、政党内閣の強さは別の話?ちょっと分からなかった。

 

世論が井上の信念に支持を強めたにも関わらず、満洲事変に民衆が熱狂したというのは一見矛盾してるようにも見えますので、もう少し詳しく知りたいですが、今を見ても世論は全体を知って判断してるわけでもありませんしね。

陸軍は長州閥最後の領袖、田中義一が没した後は宇垣一成の天下。これに対し中堅層が一夕会を結成。荒木貞夫、真崎甚三郎、林銑十郎をもりたてる。皇道派。統制派両方いるが、要するに先に出世したのが皇道派で後から権力を奪ったのが統制派。陸軍派閥抗争は一夕会の内ゲバ。バラバラだが満洲事変直前の段階では政党内閣に媚びた宇垣閥打倒で野合。

皇道派と統制派については色々読んでもよく分かりませんでしたが、この説明はとても明快ですね。今後そういう視点で見直して見ようかなと思います。

柳条湖事件関東軍の芸術的自作自演。列車が転覆しないよう、日本人被害者が出ないよう火薬量など全て計算。自作自演と分かったのは1956年。中華民国も自作自演は日常的にやっている(黄河決壊事件など)。日本が下手だったのは国際社会への宣伝。関東軍が進出、日本政府が不拡大方針発表、再び関東軍が進出、の繰り返しだからだんだん国際社会から信用されなくなる。

自作自演が分かったのってそんなに後だったんですね。それにしても国際社会への宣伝が下手っていつからの伝統芸能なんでしょうか?

柳条湖事件の謀略は、関東軍司令官の本庄繁や参謀長の三宅光治も知らない、派閥仲間の内々の謀略。事件は9/18夜半に起きるが、夜中のうちに既に東京には「関東軍の自作自演のようだ」という電報が入っている。

 

関東軍1万5千では流石に頭数が足りないので、隣接する朝鮮軍の参謀、神田正種に話は着けてあった。事変開始後に聞かされた朝鮮軍司令官の林銑十郎は奉勅なしに満州へ出動するのに恐懼するも断行。国内の新聞は大絶賛し、林銑十郎は「越境将軍」と呼ばれる。

関東軍は「自衛」という大義名分があったが朝鮮軍にはない。閣議で閣僚はほとんどが南陸相を攻撃する幣原外相の味方だが、若槻首相は追認。昭和天皇統帥権干犯に当たるのではないかと疑問を口にするが、結果的には「閣議が認めたから違法ではない」となる。この満洲事変、特に朝鮮軍の越境出兵が認められたことを機に下剋上の機運が高まる。危険な徴候。

事件後すぐに自作自演のようだと電報があったのに1956年まで分からなかったというのはどういうことなのかよく分かりませんがまあいいか。軍を適切に処分しなかったという点では、三年前の張作霖爆殺事件と同じですね。適切に処分できてたらその後は変わったのでしょうか。そうかもしれませんね。しかし全体的に見て満洲事変までの流れ自体は必然とまでは言わないまでも自然な流れな感じがしますけど。

日本国内はヒーロー登場に熱狂。中華民国国際連盟に提訴するも、かつて排斥運動で苦しめられていたイギリスは事情を承知してるので、国際連盟は冷淡。ところが10/8の錦州爆撃により情勢激変。石原莞爾は確信犯。以後、国際連盟の決議は13対1が常態化。孤立の象徴のような数字になるが、全会一致でないと決められない国際連盟の決議に騒ぐ必要はないのに我々のご先祖様はナイーブでセンチメンタルで外交知らず。国内でも政党内閣を倒そうとクーデターもどきの10月事件。橋本欣五郎は幕末の志士を気取ったクーデターマニア。根本博などの仲間に呆れられ密告される。陸軍は緘口令を敷くも事情通には噂は広まった模様

後の熱河作戦もそうですが、錦州爆撃も、関東軍なにやっとんねんとも思う一方、それは国際連盟を世界の全てのように錯覚してるからなのかもしれません。まあ著者によると石原莞爾は確信犯とのことですが。

満洲事変は世論の支持を受ける。南次郎陸相などは、満蒙問題の解決を意識していたが、北満には慎重だった。石原莞爾ソ連は五カ年計画の途上で攻めて来れないと予測、的中。駐ソ大使広田弘毅は10月28日、「北満での自由行動」を宣言。翌日ソ連は中立宣言を一方的に発表。事実上の北満放棄宣言。第二次世界大戦前後、スターリンコミンテルンを使って様々な謀略を成功させているが、このころはまだまだ。日本軍を極度に恐れてる。むしろ満洲事変の脅威に対抗するためにコミンテルンなどの情報機関を強化したのが実態。

関東軍の謀略は絶好調。当初は満州を日本が直接領有することを考えるが、日本政府に方針として押し付けるのは無理と考え、満州人自らが起こした独立運動を支援する建前で、独立国家建設の工作。溥儀を皇帝に迎える。外務省も察知し、「溥儀の連れ出しと擁立を中止させろ」と天津総領事に訓令を出すが、脱出成功。

関東軍イケイケっすねー。著者は度々、このころのソ連アメリカは日本を恐れているということを言っています。著者は何でもかんでもコミンテルンの陰謀とすることを戒めてはいますが、実際どのぐらいがソ連の陰謀があったのかは判断難しいですね。少なくともヴェノナ文書に書いてあることに触れずその頃のことを著述する人たちは誠実さがないのではないかと思います。

 

満洲事変から満洲建国、満洲帝国への流れについては以前に石原莞爾のことを書いた時に触れたのでよかったらご参照ください。しかし溥儀の脱出劇だけでも一つのドラマ撮れそうですけど、失敗してたらどうなんったんでしょうね。この辺はなんか単純に歴史ロマンって感じがしますねー。

 

倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで① - 王蟲の子供
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