倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで②

倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで① - 王蟲の子供
倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで② - 王蟲の子供
倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで③ - 王蟲の子供
倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで④ - 王蟲の子供
倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで⑤ - 王蟲の子供
倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで⑥ - 王蟲の子供

倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで⑦ - 王蟲の子供 
倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで⑧ - 王蟲の子供
倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで⑨ - 王蟲の子供
倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで⑩ - 王蟲の子供
倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで⑪ - 王蟲の子供

 

さて第一章から行きます。繰り返しますが、枝葉末節なとこに焦点を当てて調べたりしていきますので、倉山さんの言いたいことをそのまま知りたい方はお買い求めください。まず清国建国のことから始まりますがばっさりカット。以下引用ではなく要約なのでご注意を。

日清戦争で決定的に落ちぶれた清。北京が首都だが満洲自体は父祖の地として、いざという時の逃げ場として漢民族流入を禁止していた。しかし1900年の北清事変のドサクサでロシアが居座る。皇帝から全権委任された漢民族李鴻章がロシアに東清鉄道の建設許可の密約を結ぶなどロシアの軍事基地として差し出す。李鴻章漢民族だったから満洲人父祖の地などどうでも良かったのかも。日本はロシアが満洲にいるのは認めるから朝鮮には来ないでくれと「満韓交換論」を提案するがロシアは相手にせず。 「39度線以南には来ないでくれ」と要求するがこれも無視。1904年日露戦争。自国領土が戦場なのに清も朝鮮も中立宣言。日本はロシアを満洲まで押し返す。

本書では触れられていませんが、東清鉄道の建設許可は三国干渉に対する対価ですので、触れておくべきでしょうね。 三国干渉の結果、日本の要求はある程度突っぱねられたものの、列強による分割が進んだことを考えると、賢い選択だったかは分かりませんが。日清ともにどうすべきだったか議論はあるでしょうが、いずれにしても三国さんはいい面の皮ですわね。李鴻章は海防強化を手動したものの、北洋艦隊の練度では日本に勝てないと判断し日清戦争に反対するなど、それなりにバランスの取れた人のようにも感じるけど、まあ詳しくは知らないのでとりあえずここまでで。ちなみに李鴻章に関しこれより前の日清修好条規Wikipediaに下記の記述があります。

李鴻章はこれに同意し、西洋諸国が中国より遠く隔たっているのに対し、日本は清国の隣邦であり、これを「籠絡」すれば清国を扶助することにもなるが、一方、「拒絶」すればかえって清国の仇敵となる怖れもあろうとの考えに立ち、日本との条約締結をしばしば清国政府に建言した[3]。ただし、実際のところ、大久保利通ら日本政府の首脳は日清両国が協力して西洋諸国にあたろうという考えは毛頭もっておらず、柳原自身も自身の見解を国交樹立までの一時の方便とみなしていた[3]。

日清修好条規 - Wikipedia

これが事実かどうか知識はありませんが、この「毛頭思っておらず」についてほんまかいなと思ったので、[3]の本を書いた人を調べました。井上清という「釣魚諸島(尖閣列島など)は中国領である」という論文を書いたり、文化大革命を支持するような人だということを付言しておきましょう。Wikipediaは折角こういう出典が書いてある場合がそれなりに多いのだから大いに利用しましょうね。こういうのが中国に尖閣領有の根拠として利用されるんだからマジふざけんなって感じですよね。

井上清 (歴史家) - Wikipedia

 

では次に行きます。

日露戦争満洲は実質清が支配が出来る土地ではなくなっていたので警察が存在せず、馬賊匪賊の暴れ回る無法地帯に。漢族も大量流入し混乱に拍車。当時は奉天吉林黒竜江を東三省と呼称。一般的に言えばこの三省の範囲が満洲だがついでのような扱いの熱河だが、満洲父祖族父祖の地であり、溥儀が熱河を欲しがったのはこれが理由。

清の定めた満漢間の通婚禁止令を無視して漢人も勝手に入植して軍閥を形成(張作霖の父、張有財など)。錦州までモンゴル人がいたので日本でこの地の権益問題を満蒙問題という。

父祖の地として漢民族流入を禁止していたが、無視して入ってたやつもいて、日露戦争後には大量に流入したということのようだけど、細かいとこが気になる私としては、だいたいでもどれぐらいなのか数字が欲しいなあ。まあそんな統計はないかな。

熱河作戦については後にまた出てくるけども、ほんと溥儀ってやつは。ラストエンペラーとして映画でも有名だけども、時代に翻弄された可哀想な人みたいな捉え方の人がもしかしたら多いんだろうか。ああいう映画を脚色はあるにしても概ね史実と捉える人って案外多いんだろうから。昔見たと思うんだけど内容はすっかり忘れました。エッチくんによると共産党まで美化してるそうですが、Amazonの下記のレビューとか見るとそうなんでしょうね。

でも、彼は中国共産党の中で救われて、人間として幸せな人生を送れたような気がする。

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ちなみに熱河作戦に関しては、それ以外に戦略的な意味もあったようではあります。昭和天皇は「万里の長城を超えて関内に進入することなき条件」の下で実行を認可したそうです。

 

次に行きます。

 日露戦争ポーツマス条約と北京条約で整理された。日本は「満洲は清の主権下であることをこのたびロシアに認めさせた。したがって、ロシアから譲渡された権益は、その移動については主権者たる清の承認が必要である」と考えた。満洲について北はロシアが権益を持ち、南は日本が権益を持ち、形式的には清が主権を持つ、としたのが北京条約。この条約時の秘密議事録に「満鉄平行線の禁止」があるが、その後張作霖、張学良が「満鉄包囲鉄道」を事業展開。蒋介石南京政府は三本つくれと言ってくる。

リットン報告書の時にも出てきますが、この「形式的には清国の主権」って今の時代には分かりづらいですよね。っていうか私も分からないし、当時の人なら分かるのかも知りませんが。アハ。いずれにしても、鉄道の利権というのが途轍もなく大きな利権であると認識されていたということは知っておく必要があるんでしょう。

 

今回はこの辺で。いやー、この調子だといつになったら終わるか分かりませんがまあのんびりやります。

 

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