倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで⑧

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  8回目でーす。毎度断りますが、倉山満さんの「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んでそれを一部要約して、それをについてあーだこーだ言う形です。本書の解説ではありませんので悪しからず。

政党内閣政治への不信、幣原軟弱外交、大不況により民衆の不満が高まるが、エスタブリッシュメント(元老、宮中高官、財閥、政治家、高級官僚など)に比して「もはや信じられるのは軍人さんしかいない」となるかというとならない。当時の陸海軍の上層部こそ、エスタブリッシュメントに媚びて出生していった人たちだから。その嚆矢が田中義一。政友会総裁原敬の力が強くなるとともに、原に従い、ついに政友会総裁から総理大臣に。その一の子分が宇垣一成で、宇垣は事実上民政党の身内と化す。一方、政党内閣は、政変と言っても本人が辞めたいといって辞めてるのであり、政党内閣自体は強力な体制。大川周明などの民間右翼によるクーデター未遂事件などがあるが、夢のまた夢。 

 さてさて、政治家への不信が高って軍人さんへの期待が高まったわけではないとのこと。しかし満洲事変でヒーローの登場に熱狂したとなってるので、軍上層部と青年将校と分けてるということでしょうね。ところでたまに「威張ってる軍人さんもいた」みたいな証言に出てくる軍人さんはどういう人たちなんでしょうか。人数的にも多い下級兵、或いはその叩き上げの下士官なのか、どうなんでしょうかね。

 

本書では思想団体に関する言及はほぼありませんし、あった時にも大した影響ないみたいなスタンスに見えますが、論壇を軽視してるわけではありません。が、本書ではほぼ書かれてないので別書に当たりましょう。

民政党、政友会の二大政党は日本津々浦々に強力な地盤を構築しており、強力だが腐敗していた。強さの基盤は「予算」。選挙に勝てば予算を好きにできる状況がこの頃出来上がる。その最大の功労者が井上準之助。井上の信念に世論は支持を強め、金解禁によるデフレの予感の中にあっても与党民政党は総選挙で大勝。このような、内地では体制転覆できないから外地でやろうというのが満洲事変。しかも満洲事変には大義名分がありまくった。現地では日常的に、法的に日本人である朝鮮人が拉致されていた。石原莞爾がやろうとしたのは、満洲事変で満蒙問題を解決し、政党内閣と幣原外交を葬り去る一種の反政府革命だが、自分たちの独走に政府が追随するの必要な成功率の低い賭け。だから国民の賛同を得やすい満蒙問題(拉致問題)を争点にした。

政党内閣の強さの基盤を作ったという井上準之助が蔵相に就いたのは1929年。その前にも第二次山本内閣で蔵相だったがここで言ってるのは1929年。満洲事変は1931年。腐敗するほど強い二大政党の地盤と、政党内閣の強さは別の話?ちょっと分からなかった。

 

世論が井上の信念に支持を強めたにも関わらず、満洲事変に民衆が熱狂したというのは一見矛盾してるようにも見えますので、もう少し詳しく知りたいですが、今を見ても世論は全体を知って判断してるわけでもありませんしね。

陸軍は長州閥最後の領袖、田中義一が没した後は宇垣一成の天下。これに対し中堅層が一夕会を結成。荒木貞夫、真崎甚三郎、林銑十郎をもりたてる。皇道派。統制派両方いるが、要するに先に出世したのが皇道派で後から権力を奪ったのが統制派。陸軍派閥抗争は一夕会の内ゲバ。バラバラだが満洲事変直前の段階では政党内閣に媚びた宇垣閥打倒で野合。

皇道派と統制派については色々読んでもよく分かりませんでしたが、この説明はとても明快ですね。今後そういう視点で見直して見ようかなと思います。

柳条湖事件関東軍の芸術的自作自演。列車が転覆しないよう、日本人被害者が出ないよう火薬量など全て計算。自作自演と分かったのは1956年。中華民国も自作自演は日常的にやっている(黄河決壊事件など)。日本が下手だったのは国際社会への宣伝。関東軍が進出、日本政府が不拡大方針発表、再び関東軍が進出、の繰り返しだからだんだん国際社会から信用されなくなる。

自作自演が分かったのってそんなに後だったんですね。それにしても国際社会への宣伝が下手っていつからの伝統芸能なんでしょうか?

柳条湖事件の謀略は、関東軍司令官の本庄繁や参謀長の三宅光治も知らない、派閥仲間の内々の謀略。事件は9/18夜半に起きるが、夜中のうちに既に東京には「関東軍の自作自演のようだ」という電報が入っている。

 

関東軍1万5千では流石に頭数が足りないので、隣接する朝鮮軍の参謀、神田正種に話は着けてあった。事変開始後に聞かされた朝鮮軍司令官の林銑十郎は奉勅なしに満州へ出動するのに恐懼するも断行。国内の新聞は大絶賛し、林銑十郎は「越境将軍」と呼ばれる。

関東軍は「自衛」という大義名分があったが朝鮮軍にはない。閣議で閣僚はほとんどが南陸相を攻撃する幣原外相の味方だが、若槻首相は追認。昭和天皇統帥権干犯に当たるのではないかと疑問を口にするが、結果的には「閣議が認めたから違法ではない」となる。この満洲事変、特に朝鮮軍の越境出兵が認められたことを機に下剋上の機運が高まる。危険な徴候。

事件後すぐに自作自演のようだと電報があったのに1956年まで分からなかったというのはどういうことなのかよく分かりませんがまあいいか。軍を適切に処分しなかったという点では、三年前の張作霖爆殺事件と同じですね。適切に処分できてたらその後は変わったのでしょうか。そうかもしれませんね。しかし全体的に見て満洲事変までの流れ自体は必然とまでは言わないまでも自然な流れな感じがしますけど。

日本国内はヒーロー登場に熱狂。中華民国国際連盟に提訴するも、かつて排斥運動で苦しめられていたイギリスは事情を承知してるので、国際連盟は冷淡。ところが10/8の錦州爆撃により情勢激変。石原莞爾は確信犯。以後、国際連盟の決議は13対1が常態化。孤立の象徴のような数字になるが、全会一致でないと決められない国際連盟の決議に騒ぐ必要はないのに我々のご先祖様はナイーブでセンチメンタルで外交知らず。国内でも政党内閣を倒そうとクーデターもどきの10月事件。橋本欣五郎は幕末の志士を気取ったクーデターマニア。根本博などの仲間に呆れられ密告される。陸軍は緘口令を敷くも事情通には噂は広まった模様

後の熱河作戦もそうですが、錦州爆撃も、関東軍なにやっとんねんとも思う一方、それは国際連盟を世界の全てのように錯覚してるからなのかもしれません。まあ著者によると石原莞爾は確信犯とのことですが。

満洲事変は世論の支持を受ける。南次郎陸相などは、満蒙問題の解決を意識していたが、北満には慎重だった。石原莞爾ソ連は五カ年計画の途上で攻めて来れないと予測、的中。駐ソ大使広田弘毅は10月28日、「北満での自由行動」を宣言。翌日ソ連は中立宣言を一方的に発表。事実上の北満放棄宣言。第二次世界大戦前後、スターリンコミンテルンを使って様々な謀略を成功させているが、このころはまだまだ。日本軍を極度に恐れてる。むしろ満洲事変の脅威に対抗するためにコミンテルンなどの情報機関を強化したのが実態。

関東軍の謀略は絶好調。当初は満州を日本が直接領有することを考えるが、日本政府に方針として押し付けるのは無理と考え、満州人自らが起こした独立運動を支援する建前で、独立国家建設の工作。溥儀を皇帝に迎える。外務省も察知し、「溥儀の連れ出しと擁立を中止させろ」と天津総領事に訓令を出すが、脱出成功。

関東軍イケイケっすねー。著者は度々、このころのソ連アメリカは日本を恐れているということを言っています。著者は何でもかんでもコミンテルンの陰謀とすることを戒めてはいますが、実際どのぐらいがソ連の陰謀があったのかは判断難しいですね。少なくともヴェノナ文書に書いてあることに触れずその頃のことを著述する人たちは誠実さがないのではないかと思います。

 

満洲事変から満洲建国、満洲帝国への流れについては以前に石原莞爾のことを書いた時に触れたのでよかったらご参照ください。しかし溥儀の脱出劇だけでも一つのドラマ撮れそうですけど、失敗してたらどうなんったんでしょうね。この辺はなんか単純に歴史ロマンって感じがしますねー。

 

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7回目でありんすー。毎度断りますが、倉山満さんの「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んでそれを一部要約して、それをについてあーだこーだ言う形です。本書の解説ではありませんので悪しからず。

1929年、日本は浜口雄幸内閣。蔵相井上準之助。金解禁、緊縮財政で経済どん底汚職とスキャンダルによる政党内閣政治への不信、幣原軟弱外交、大不況。

満洲事変前史の国内状況として非常に分かりやすいですね。

1929年、中華民国は対華二十一箇条要求に関わっていた小幡酉吉を駐支公使にするのを拒否。外務省は数々の排日行為よりも、役所組織をお侮られることが許せず。数々の排日行為を処理しない外務省に対して「国家意識が欠如してる」「平和主義への盲信だ」「支那という呼び名を中国に変える前に反日教科書に抗議しろ」などの批判が起きる。今と同じ。

 筆者の言う通り、ほんといつの話やねんって感じですね。支那と言わずに中国と言おうと浜口雄幸内閣が閣議決定したという話は初めて知りました。反日教科書って当時もあったんですね。どういうのなんでしょう。そもそも当時の中国の教育システムってどうなってたのか、想像すらつきません。

 

支那、中国の呼称について、現在の外務省のHPによると1913年に「支那」と呼称するように閣議決定されてるんですね。

 日本政府は当時、条約や国書を除いて中国を「支那」と呼称するとの閣議決定(1913年6月)に基づき、中国に対する呼称として通例、「支那」を使用していました。

(中略)

 こうした中国官民の感情に配慮して、1930年(昭和5年)10月、浜口内閣は常則として「中華民国」との呼称を用いる旨を決定しました。

外務省: 第二次外相時代 幣原外交終焉の時

支那はChinaと同じ語源なんでしょうから漢字文化圏だからこそ起こった問題ですよね。つまらないことで話し合い時間取られるのてだるいでしょうね。。

 

先に進みます。

1930年、海軍軍縮会議。アメリカはフーバー大統領、イギリスはマクドナルド首相というまともな人たち。日本の国是対米7割に対し、69.75%まで認める。日本も概ね歓迎だが、海軍軍令部は不満。

軍令部は何が不満やねん。ということで東郷平八郎老害とか言われる理由のひとつなんでしょうけど。こうして書くとフーバーさんとマクドナルドさんは仲良しさんみたいに見えちゃうかもしれませんが、すぐ後で出て来ますが別に二人の時代が英米が仲良しだったというわけではありません。英米を一体のように考えるのは間違いだと著者は度々書いております。

ロンドン海軍軍縮条約批准は戦前政党内閣の金字塔と言われる。が、軍令部の同意していない条約を結んでくるとは憲法違反だという言いがかりの統帥権干犯問題が起こる。「憲政の常道」が続いて敗戦がなかったら誰も覚えてないような問題だったろう。ロンドン条約批准問題と統帥権干犯問題の本質は正論が愚論に押し潰されていったこと。

1930年浜口雄幸狙撃で重態、その後死亡。憲政の常道では政策の失敗での総辞職のではないので、そのまま民政党若槻礼次郎内閣へ。幣原外交も井上財政も継続。

 憲法問題というと日本国憲法下の近年でも、集団的自衛権の問題とか色々あると言えばありますね。数年前の特定秘密保護法の時の大騒ぎとかもほとんど忘れ去られてますかね。つまり例えば特定秘密保護法が通ったことで安倍首相とかが暗殺されてしまうような感じですかね。

アメリカはフーバー・モラトリアム政策でイギリス潰し。イギリスのマクドナルド首相は与党労働党を追放されるが、保守党・自由党と連立を組み、挙国一致内閣。それを見て日本でも挙国一致内閣をとの声が出てくる。中華民国では汪兆銘が広東政府を作る。張学良は相変わらず満洲でギャングのようなことをしてる。1931年、内田康哉が満鉄総裁として赴任。1930年6月、諜報員が惨殺される中村大尉事件、7月、満洲朝鮮人が中国人農民にいたぶられる万宝山事件。朝鮮半島で中国人排斥運動。チャイナタウン破壊などの暴動。幣原外交への批判が高まる。

先程書いたようにこのようにアメリカとイギリスがいつも仲良しというわけでは全くないと。挙国一致という言葉自体、イコール日本の軍国主義みたいなイメージの日本人がほとんどな気がします。しばらく先のことではありますが、第二次世界大戦ファシズム自由主義みたいなステレオタイプは全く時代状況を無視した見方でしょうね。

 

内田康哉は後に外相になりますが、著者が史上最悪の外相という人です。幣原外交への不満が高まり「満蒙は日本の生命線である」が大流行したところで第二章終了でーす。

 

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倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで⑥

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倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで⑤ - 王蟲の子供
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 6回目でーす。毎度断りますが、倉山満さんの「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んでそれを一部要約して、それをについてあーだこーだ言う形です。本書の解説ではありませんので悪しからず。

ワシントン体制の中、日本はデモクラシー、「憲政の常道」を謳歌立憲政友会と立憲民政党の二大政党。民政党の前身、憲政会は加藤高明が外相時代、対華二十一カ条要求を元老に相談せずに決めていたことから元老、特に親中派西園寺公望に嫌われていたため不遇の十年を送っていたが、米英中との協調姿勢を示すため幣原喜重郎を外相にし西園寺へアピール。この加藤高明内閣が「憲政の常道」の始まり。しかし衆議院第一党の総裁が第一党になる「憲政の常道」は政策で行き詰まって総理大臣が政権を投げ出した時は第二党の総裁へ政権が移動するため、汚職やスキャンダルの暴露合戦に明け暮れ、民衆は二大政党への不信を抱くようになる。 

 この辺りの政党政治とか憲政の常道に関しては、保守論客の中では恐らく倉山さんが一番詳しいんじゃないかな?私の知る限り。だから個人的には本書の中で一番勉強になったとこかな。しかしこの「憲政の常道」のシステムは必然的にスキャンダル合戦を引き起こし、民衆の支持を失う構造的欠陥を持つということになるように読めるのだけどどうなんでしょうね。

民政党のスポンサーは三菱財閥、政友会は三井、元老は住友。エスタブリッシュメントの結束という点では三者が一致。中国政策についてのみ幣原外交の民政党が協調外交、政友会が強硬外交。しかし当時は国の体すらなさない小国なのに国運を賭けてまで介入する問題ではないのになぜそんな問題で大日本帝国が滅んだかというのが満洲事変の核心。

このスポンサー関係に関しては後に、金解禁に関するところでも出てきますので一応押さえておいてもいいかも。まあ先に言っちゃうか。金解禁で困ってた三井財閥が政変を起こして再禁止させたという陰謀論です。事実はともかく政党と財閥の癒着が民衆の怒りを買ったようですね。血盟団事件五・一五事件とそれらのテロに対する民衆の同情への伏線と行ったところでしょうか。

中国は不平等条約を日本のように、押し付けられたものでも正規の手続きで変えていこうというのではなく、無理矢理押し付けられたんだから守らなくていいと、「ボイコット」と称して各国へテロ。まずその矛先はイギリスに向かい、1927年には蒋介石の北伐軍がイギリス租界を占拠。イギリスはブチ切れ、日米に共同出兵を打診。幣原喜重郎は拒否。西園寺はこれぞ強硬外交と称賛。南京事件発生。

こういう、法とかの約束事よりも正義みたいな考え方というのは、先程書いた血盟団事件五・一五事件などのテロについては日本人もそうですよね。著者の言う「狂った時代」ですね。なんで狂ったんでしょうね?

 

さて南京事件について出てきました。南京大虐殺」と言われる昭和12年のもの以外に、大正二年と昭和二年にもあります。こちらは中国人が加害者ですが、大正二年のものは今回初めて知りました。っていうか、日本人が虐殺された事件とかいっぱいあるから数え切れないですね。今ぱっと挙げられるのは、甲申事変(1884)、南京事件(1913、1927)、漢口事件(1927)、済南事件(1928)、通州事件(1937)、通化事件(1946)など。甲申事変は有名だけど日本人が虐殺されたことは知られてないだろうし、通化事件は戦後のことだけどこれもほとんど知られてないのでは?

昭和二年(1927年)金融恐慌を機に若槻内閣総辞職田中義一内閣は居留民保護のため三回に渡り山東出兵(1927,1928)。幣原があまりに軟弱で支那人にナメられまくったから。山東出兵を決めた東方会議には吉田茂も参加。吉田茂関東軍や陸軍の武断外交に反対してたと言われるが実際は軍よりも強硬。何故話が逆になるのか。

 吉田茂のことはついでの話ではありますが、一般的には終戦工作による逮捕歴によりGHQの信頼を得たということになってると思います。

日本は居留民保護と権益を守るのに、張作霖蒋介石を天秤にかけ、蒋介石の方がよかろうと、張作霖に北京から引き揚げるよう勧告。米ソはこれにケチをつける。張作霖が日本の勧告に従って満洲に戻る途中、張作霖爆殺事件発生。これについてコミンテルンの謀略説があるが、証拠ない。通説に従えば河本大作が犯人。関東軍総意のものを一人で泥を被った。

田中義一は当初、軍を責任をもって処罰すると言ったが、自身の身内である陸軍かわいさに一年経って結局「厳正な処分はしない」と奏上。田中義一昭和天皇の怒りに恐懼し総辞職。

著者は張作霖爆殺事件のソ連犯行説には消極的なようです。田中義一内閣総辞職の経緯については昭和天皇独白録や去年話題になった拝謁記でも言及がありますが、どこまで信憑性があるんでしょうね。いずれにしても張作霖爆殺事件の対応への昭和天皇の怒りに恐懼して辞職したという経緯自体には特に変わりはないようですね。ちなみに本シリーズでたまに参照する宮脇淳子さんの本では張作霖爆殺事件によって日本は全然得してないことからソ連や張学良も怪しいと書いています。

1928年、張作霖の息子、張学良が「易幟」を宣言し、蒋介石服従。日本政府は中華民国統一に警戒感。外務省は気にしてない様子。奉ソ戦争。ソ連圧勝。この事実をもって張学良は父の仇のソ連に喧嘩を売ったのだとする人がいるが違う。北満州の中東鉄道を回収しようとした。

 蒋介石と手打をして中東鉄道回収の方に力を入れたってことでしょうかね。張学良は生涯を通してやってることがよく分からないですがね。

 

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 5回目でーす。毎度断りますが、倉山満さんの「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んでそれを一部要約して、それをについてあーだこーだ言う形です。本書の解説ではありませんので悪しからず。今回から第二章に入ります。

1917年、ロシア革命勃発。日本にとって実質的同盟国を共産主義者が乗っ取って敵となってしまった大事件だが、当初日本では警戒心なし。しかし翌年ニコライ二世一家が皆殺しにされ、やばい奴らだと吉野作造ら心ある日本の知識人は警戒し始める。が、主流ではなく、インテリは「左」の共産主義に靡き、それに反発する「右」が日本精神を絶叫するという、程度の低い争いが論壇の主流へ。

 

ロシア革命に対して英仏が干渉戦争を主導。日米は言われて訳も分からず出ていく格好。当時の日本の最高権力者である、原敬は媚米、拝米で、ウィルソンに言われるまま戦力の逐次投入。

シベリア出兵に関してはそもそも語られること自体が少ない上に、全く無意味だったとか否定的な面しかほぼ聞いたことがありません。倉山さんのチャンネルくららにもよく出演される宮脇淳子さんの「満洲国から見た近現代史の真実」によると唯一の功績は、シベリア出兵期間、援助合戦でシベリアに飢餓が生じなかったことだそうです。じゃあそれが他のマイナス面に見合ったかって話ですが。また同書によると、満洲建国時にハルビン白系ロシア人ユダヤ人がたくさんいたのは革命から逃げてきた人たちだとのこと。野球のスタルヒン、大相撲の大鵬の父、チョコレートのモロゾフなどはこのころ亡命した人だそうです。

 

ところでシベリア出兵について調べると、積極的出兵論と消極的出兵論があるとよく書かれてますが、それぞれにも色んな立場があるようで、なので書いてあるものによって誰がどういう立場なのか違ったりして非常に分かりづらいです。例えば山県有朋は積極的出兵論、消極的出兵論どちらに分類されるか、サイトによって違ったりします。多分山県有朋は消極的出兵だと思いますが、登場人物の立場が色々複雑なので考え違いされたのかも。いずれにしても、ヨーロッパから要請されて行ったのに、却って悪者扱いされることになるというね。

 

先に進みます。

日本はヨーロッパの戦後秩序を話し合うヴェルサイユ会議、アジア太平洋の秩序を話し合うワシントン会議に参加。ワシントン会議直前、原敬は暗殺されるが後継の人たちも原敬流の親米は揺るがず。明治以来、南下するロシアを最大の敵としている以上、親英米霞が関の伝統外交。だがこのころから老大国イギリスよりも新興大国のアメリカとの基調を軸にしようという「米英」派が主流に。しかしアメリカは誇大妄想の国でハーディング大統領は日英同盟を放っておいたら挟み撃ちになるのではと妄想し、大戦での借金のカタに日英同盟を破棄するようイギリスに圧力をかける。イギリスは日英同盟を切りたくないので、断ってよねというニュアンスで「アメリカも入れて三国同盟とかどう?」と持ちかけるが幣原喜重郎駐米大使が気づかず、日英同盟を解消し、何の昨日も果たさない四ヶ国条約に調印。以降親英派が発言権を失う。日英同盟破棄はアメリカがさせたのに世論は反英に。この時点でアメリカは妄想的に日本を恐怖してる。イギリスにとってアメリカは覇権を取って代わろうとする敵。三角関係でいがみ合ってる。喜ぶのはソ連だけ。日本ではイギリスの悪口は言うくせにソ連の悪口は全く言わない論者が幅を利かせる。「保守」「愛国」「日本精神」を絶叫するのに何故かソ連の悪口は言わない。

 

海軍軍縮条約アメリカは「日本がうちの7割持ってたら負けるから6割に」日本は「6割だと負けるから7割に」と言ってる。どちらも対等だと日本が勝つという前提。日本は勝てるはずのない強大なアメリカに愚かにも挑んで負けたのではない。この時点で日本は滅びようがない大国。なのに滅んだ。理由は頭が悪くなったから。

日英同盟を解消し、四ヶ国条約に調印したことはよく批判されることで、それは妥当だでしょう。アメリカの反日的行動の一つとして語られることが多いと思うのですが、筆者はそれに加えて、日本が頭が悪くなったからだという主張です。だとするとなんでアホになったのかを知りたいです。

 

英国の「断ってよねというニュアンス」についてももっと知りたいし、ソ連の悪口を言わない愛国者についても知りたい。ソ連の悪口を言わない愛国者というとソ連のスパイかと想像力を働かせてしまいますが、著者の主張からすればこの時点ではソ連にそんなないはず。

 1922年の九カ国条約は、八カ国が中華民国主権国家になる機会を与えようという条約。当時の中華民国には北京政府と広東政府があり割れているばかりでなく省ごとに軍閥がいてバラバラで、そんな国と条約を結ぼうとは正気の沙汰ではないがアメリカが強硬に主張したので他の国も同意した。日本は喜んでアメリカに追従。満洲事変の遠因。

まさに当時の中国には他国と条約を結べる状態ではなかったと思います。話が戻りますが前回のエントリーで書いた21箇条要求についてですが、宮脇淳子さんの本によれば日本に亡命してた孫文と日本の民間人が結んだ中日盟約が21箇条要求の希望条項に似てるとのこと。当時のトップである袁世凱は預かり知らぬ盟約が、場合によっては国同士の条約になる可能性もあったということが正に当時の中華民国の条約遵守能力のなさの一端を表してますね。中日盟約(日中盟約)に関しては日本語のものはネットではあまり調べられませんでしたが、中国語のを一応リンク張っておきます。

中日盟約 - 维基文库,自由的图书馆

東亜同文書院大学記念センターの馬場毅さんによれば実物は早稲田の図書館にあると思うとのこと。彼の発言を一部引用します。

ただしその中でこの第5号については、大隈内閣ですら最終的に削除した内容です。私が今申 し上げた点はまさに第5号そのもので、日本政府ですら削除した内容です。ただしそういう部分だ けではなくて、中国にとっても有利な、日本側が中国側の関税自主権を回復することとか、領事裁判権の撤廃に賛成すること、これを認めるならば 日本側から援助するというのが日中盟約の内容です。

ちょっと話が21カ条要求についてに戻り過ぎてしまいましたね。多分シベリア出兵や第一次世界大戦について個人的に未消化なために今回のエントリーは内容がいつもに増してとっ散らかっちゃったと思います。

 

さてこのころの対米追従外交が満洲事変の遠因になったということはどういうことなのか、乞うご期待。

 

倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで① - 王蟲の子供
倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで② - 王蟲の子供
倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで③ - 王蟲の子供
倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで④ - 王蟲の子供
倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで⑤ - 王蟲の子供
倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで⑥ - 王蟲の子供

倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで⑦ - 王蟲の子供 
倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで⑧ - 王蟲の子供
倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで⑨ - 王蟲の子供
倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで⑩ - 王蟲の子供
倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで⑪ - 王蟲の子供

倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで④

倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで① - 王蟲の子供
倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで② - 王蟲の子供
倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで③ - 王蟲の子供
倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで④ - 王蟲の子供
倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで⑤ - 王蟲の子供
倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで⑥ - 王蟲の子供

倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで⑦ - 王蟲の子供 
倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで⑧ - 王蟲の子供
倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで⑨ - 王蟲の子供
倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで⑩ - 王蟲の子供
倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで⑪ - 王蟲の子供

はいはい、4回目でーす。毎回のお断りですが、この本を読んで、一部を要約してそれについての感想とか付随する話をしていく感じですのでよろしくー。

辛亥革命以降、「軍閥混戦」状態で大混乱。チベットはイギリス勢力圏、ウイグルはイギリスとロシアの角逐の場、モンゴルはロシア勢力圏、満洲はロシアと日本の勢力圏。中央政府不在。この状態に対し、満鉄以外の権益以外は干渉せず英米露と協調していこうってのが外務省、関東軍は現地にいて無法状態を何とかしたいので軍事介入したがるが、満州事変までは主流ではない。中華民国が出来て本来は旧清朝の領土を継承することを外国から承認されて国家承認となるが、中華民国は事実上無法状態で条約遵守能力がないので、日露英列強は自分の勢力圏は自分で守ろうということになる。ところがアメリカのウッドロー・ウィルソン大統領は他の列強を無視して自分だけさっさと中華民国を承認して引っ掻き回す。

 中華民国が実質軍閥混戦」状態であったことはこの辺の歴史に多少なりとも興味がある人なら常識でしょう。ウッドロー・ウィルソンが列強を無視してさっさと中華民国を承認したというのは知りませんでした。ちなみに第一次世界大戦の講和会議である、パリ講和会議Wikipediaに下記のような記述があります。

中華民国を「姉妹共和国」としていち早く承認したウィルソンは、外交団や米国人宣教師の影響で中国に強い関心を持っていたが、日本にはほとんど興味や知識を持っていなかった[120]。 

パリ講和会議 - Wikipedia

 この他にもウィルソンの反日的姿勢を書いてあるのですが、だいたいそれに関してWikipediaの記述の出典は中谷直司という人の本のようです。どういう人なのかは情報がほとんどなくよく分かりません。いずれにしてもウィルソンが色々と引っ掻き回したことは確かでしょう。その他は関東軍は現地の無法状態をなんとかしたいので軍事介入したがるが、外務省は英米露の列強と協調的ということを押さえとけばいい感じでしょうか。

次行きまーす。

満洲のことを考えたらドイツがロシアに対して劣勢であるのは良くないが、日本は日英同盟に従ってドイツに宣戦布告。イギリスは当初「来てくれ」「やめてくれ」「やっぱり来てくれ」を繰り返すが結局、欧州には陸軍は派遣せず海軍だけ派遣したが、大きな戦果をあげている。当時の日本人は世界大戦と言わずに欧州大戦と言っている。実態としても世界大戦ではない。日本が世界大戦にさせなかったのだ。

第一次世界大戦における日本は青島と太平洋のドイツ領の南洋諸島攻略は知られてることでしょうか。欧州への艦隊派遣もそれなりに知られてはいるでしょうかね。いずれにしてもどのような意義があったかということはあまり語られることが少ない気がします。今回調べてみましたが、アメリカ西海岸の哨戒活動とかもやってるんすね。

第一次世界大戦下の日本 - Wikipedia

誰だかすっかり忘れましたが、保守論客の誰かが、第二次世界大戦に比して日本は第一次世界大戦で大したリスクを取らず(陸軍を派遣しなかったことかな?)に青島とかとっただけでむしろ卑怯だというようなことを言ってました。実際のところドイツはともかく他の国からはどう思われてたんでしょうね。上記の保守論客は第二次世界大戦の日本の大義を強調したいがための発言かもしれませんが。

では先に進みまーす。

対華二十一箇条要求はその言葉自体がプロパガンダで、14箇条の要求と7か条箇条の希望。14箇条は国際法を守れというだけ。残りの希望は確かに虫のいいことを言っているが、帝国主義の時代では当たり前。ただし汚点と言われるべき点がある。袁世凱に「これを最後通牒という形にしてもらえたら言い訳が立つからそうしてくれ」と言われ、加藤高明外相が最後通牒を突き付けたら、袁世凱が秘密にするとしていたはずの7箇条の希望の部分を「最後通牒でこんなこと言われた」と国際社会に公開、プロパガンダに利用された。

三宅久之氏が、対華二十一箇条要求を読んで、やはりこれは日本が悪かったとテレビで言ってたのを思い出しました。しかし実態は倉山さんの言ってる通りなんでしょうね。多くの人が思ってると想いますが、日本の情報戦は頼りないことこの上ない。分からないけど当時より劣化してそうで恐いっすね。

先に進みます。

ウッドロー・ウィルソンは二十一カ条要求に対して英仏露に四国干渉をしようと持ちかけるが拒否される。英仏露にとって日本は第一次世界大戦において同盟国だがアメリカは中立国に過ぎないから当然。1916年、事実上の軍事同盟である第四次日露協商を結ぶ外相石井菊次郎は「帝政ロシアを潰してはならない」と主張。アメリカは第四次日露協商に文句をつけ、機会均等、門戸開放を申し入れる。自分は中米に武力侵略、南米に経済進出し「ヨーロッパは入ってくるな」と市場を独占しようとしながらあまりにもダブルスタンダード。当然日本は無視。

日本は大戦初頭に青島と太平洋のドイツ領は制圧しているので、自分だけ離脱も可能だが、石井菊次郎は戦勝後のことを考え単独不講和を約束したロンドン宣言へ加入。これは日本外交史において過小評価すぎ。

中華民国はドイツが敗色濃厚になってから宣戦布告するが宣戦布告しただけで何もしてない、この中華民国の肩を持ってたのがウィルソン大統領。ウィルソン大統領に話を持っていくとどんな話もぶち壊されるので、欧州各国もアメリカと話したい時は誰と話せばいいんだ状態に。石井菊次郎はウィルソンと仲が悪かったが正式な国務長官ロバート・ランシングと話をつけたのが、石井・ランシング協定。日本はアメリカの言う中華民国の独立・機会均等・門戸開放の尊重に譲歩し、アメリカは日本の特殊権益を承認するというもの。ウィルソンは激怒、中華民国もそんな拘束は受けないと言い出す。

 この辺りは著者の独擅場というか。「ウッドロー・ウィルソン」と検索すると、今の人類の不幸の90%以上がウィルソンの責任とまでいう、著者の記事が結構上位にいくつか出てきて、他はWikipedia程度のこと以外はなかなか探せません。もともとあまり知らないので個人的な宿題ってとこです。ところでこの90%この人のせいとか、著者は特定の人を全否定するようなことがしばしばありますが、どうなんでしょうね。麻生太郎さんのことも「討伐されるべきである」とか大仰な言い方をしますけども。井上準之助についてはその政策について大いに批判しながら、高い評価を与えている部分もあるのに。井上準之助が蔵相だった時代に生きていたらやはり「井上準之助は討伐されるべきである」と言ったんだろうか。批判するのはもちろんいのだけど「その麻生が「老後2000万円問題」で失策をした。とにもかくにも、麻生を討て! その結果、安倍内閣がどうなるかなど、考えるな! 増税阻止、最初で最後のチャンスだ!」とまで言ってしまうと信者的な人しか付いてこなくなってなってしまうのではないかという気がします。当然他の保守論客に対しても舌鋒鋭いのですが、まあそういうことも色々考えた上での発言だと思っておきましょう

【人道主義者、平和主義者などと紹介されるウィルソン大統領。実は今の人類の不幸の最低9割がウィルソンのせいである。◆日本人はアメリカ大統領を勘違いしている②】 | BEST TiMESコラム

私は一度でも麻生太郎を絶賛した人間を信用しない/倉山満 | 日刊SPA!

 とりあえずここまでで序章及び第一章は終了です。第四章まであるこの本。このシリーズやっと④なので、このペースだと余裕で⑩超えそうですね。着いてきていただけますでしょうか。。。

 

倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで① - 王蟲の子供
倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで② - 王蟲の子供
倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで③ - 王蟲の子供
倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで④ - 王蟲の子供
倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで⑤ - 王蟲の子供
倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで⑥ - 王蟲の子供

倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで⑦ - 王蟲の子供 
倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで⑧ - 王蟲の子供
倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで⑨ - 王蟲の子供
倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで⑩ - 王蟲の子供
倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで⑪ - 王蟲の子供

倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで③

倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで① - 王蟲の子供
倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで② - 王蟲の子供
倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで③ - 王蟲の子供
倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで④ - 王蟲の子供
倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで⑤ - 王蟲の子供
倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで⑥ - 王蟲の子供

倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで⑦ - 王蟲の子供 
倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで⑧ - 王蟲の子供
倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで⑨ - 王蟲の子供
倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで⑩ - 王蟲の子供
倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで⑪ - 王蟲の子供

 

では3回目行きまーす。しつこいようですが、本書をちゃんと理解したい方はお買い求めくださいね。これも誤解のないように毎回断りますが、引用じゃなくて要約を提示してそれにあーだこーだ言う形になっておりますのでご注意ください。

ポーツマス条約と北京条約の間に桂ハリマン協定というのがある。これを日本が反故にしたから日米戦争になったという説があるが、ハリマンは今の日本で言えば孫正義レベルの成り上がり物で財界主流ではない。小村寿太郎はそれより財界主流派(モルガン)と付き合おうと話をつけてきた。

保守論壇の重鎮で、桂・ハリマン協定を断ったことが日米戦争に繋がったという説を唱える人を、故人だから情けで名を秘すと著者が書いてるのは渡部昇一さんでしょうね。主流派云々の話は初めて知りました。Wikipediaによると満州への輸出額が日本よりも遥かに多い英米資本は満州市場に関心を寄せており、日露戦争で日本を応援したのに却って以前よりも門戸が閉じてるじゃないかと両国から抗議が来たとありますがどうなんでしょうか。Wikipediaの注では下記のように書いてあります。

^ マクドナルドの手紙の内容は、以下のようなものであった。「愚見に依レハ現時日本政府ノ取ル政略ハ即チ、露国ト戦争ヲ為シタル際日本ニ同情ヲ寄セ軍費ヲ供給シタル国々ヲ全ク疎隔スル日本ノ自殺的政略ト評スルノ外ナシ」(『日本外交文書』39-1)[33]

『日本外交文書』からちょっと探せなかったのですが、下記のサイトに「満洲問題に関する協議会」の「明治三十九年五月二十二日閣議決定」として載ってます。駐日イギリス公使のクロード・マクドナルドさんが伊藤博文に宛てた書簡の内容を伊藤博文がこの会議で述べたもののようです。

満洲問題に関する協議会 - 日本の歴史年表

いずれにしても小村寿太郎がモルガンと話を着けてきたから問題ないんだとまで言い切っていいのかは個人的には保留ですね。

関東軍とは関東州を守る軍。関東州とはポーツマス条約で得た、遼東半島先端部と満鉄附属地をあわせた租借地ポーツマス条約の追加約款により鉄道1キロメートルにごとに15名を条件に守備兵を置くことが出来る。関東軍1万5千はこれを遵守した人数。満洲全体は日本の約2倍の面積。まずは鉄道付属地だけを守れればいいだろうというつもりだったが、張作霖のような暴力団軍閥)がいた。初めはその人達を育てて現地を治めさせようと思ったが平気で人を裏切る人たちだと分かった。それを承知で付き合う陸軍と、正式な外交ルートで何としようとする外務省の路線対立が深まる。

 鉄道付属地がどの程度の広さか調べましたがこちらのサイトによると初めは約182キロで、徐々に拡張し1930年には約371平方キロまで拡大し、隠岐の島ほどの面積。現在の日本の面積が377,900平方キロ、満洲満洲国)は1,550,000平方キロほどです。どう比べて2倍という計算なのかはよく分かりませんが、いずれにしても満洲全体に比する鉄道付属地は当然微々たる面積と言えるでしょう。

日露戦争は露仏同盟と日英同盟の睨み合いが日露の一騎打ちとなった。露仏同盟対日英同盟がそのまま戦争すれば世界大戦になりドイツはこれを狙っていたが、英仏協商が結ばれそうはならなかった。英米が日本を助けたが、日本が勝ちすぎたために、牽制してきたというのは確かだが、日米戦争の遠因になるほどではない。アメリカで移民排斥運動も起こるが、結果、高平・ルート協定でお互いを太平洋の大国と認めあうということに。日本は安全になり、ドイツは完全包囲網の真っ只中でバルカン半島で大揉め。英米があんまり圧力かけるので日露協商で権益を守ろうとしたと多くの人は言い、部分的にはその通りだが、英米にとって経済権益に過ぎない満洲と領土、宗教、民族の絡むバルカン半島とどっちが深刻かって話。

 先程の桂・ハリマン協定のところと同じで、反移民などの反日的動きはそんなに大したことないという論調ですかね。その代わりというか、ウッドロー・ウィルソン大統領についてはボロクソに言っています。ウッドロー・ウィルソン大統領というと、国際連盟の設立を提唱したのにアメリカは参加しなかったとか、日本の提出した人種差別撤廃提案を否決したり、民族自決の原則を提唱したために却って紛争を招いたとか、教科書に載ってそうな程度の知識しかないので後々書かれてることは「おー、そうなんだー」って感じでした。その前にウィルソンの2代前、日露戦争当時のセオドア・ルーズベルトに関して。

黒羽茂氏の「日米外交の継父太平洋戦争への抗争史展開」によると悪化する日米摩擦に対応するためセオドア・ルーズベルトが立てた構想は下記の通り。

1、桂・タフト協定を利用して日本のフィリピンへの攻撃を未然に防ぐ。

2、アメリカ艦隊の世界周航を口実に大艦隊による示威行動を展開する。

3、高平・ルート協定により日本のフィリピンへのの野望を放棄させる

 

軍事的合理性を重んじる力の信奉者のセオドア・ルーズベルトは日本の力を分かっており、戦ったら危ない相手と戦争する愚か者ではないし、日本もそれを理解し振る舞ったのでしばらくは日米関係は良好。

本書とはまた関係ありませんが、セオドア・ルーズベルトについては色々と反日的というか、日本を非常に警戒する政策や、私信などもあり、インディアン絶滅政策を支持したり、日本以外に関しても少なくとも今の価値観からは「それってどうなの?」的な面が多いにも関わらず、日露戦争以前の親日的言動のみをピックアップされるのを見る機会も多い気がします。そういう意味ではもっと悪い点を多く書いても良さそうなのに、著者がセオドア・ルーズベルトを日米関係に関しては現実的に評価してるのはとても興味深い視点だと思いました。なーんてことを書いてたらタイムリーにこんなニュースが。

米自然史博物館のルーズベルト像、撤去へ 差別的との判断で - WSJ

あとこれも本書からは離れるのですが、桂・タフト協定Wikipediaにおける記述で個人的に気になった部分を、ここは引用いたします。

この協定の中で、桂は、「大韓帝国政府が日露戦争の直接の原因である」と指摘し、「朝鮮半島における問題の広範囲な解決が日露戦争の論理的な結果であり、もし大韓帝国政府が単独で放置されるような事態になれば、再び同じように他国と条約を結んで日本を戦争に巻き込むだろう。従って日本は、大韓帝国政府が再度別の外国との戦争を日本に強制する条約を締結することを防がなければならない」と主張した。

桂・タフト協定 - Wikipedia

 やっぱりね、朝鮮問題がどれだけ厄介であったかということは語られることがあまりに少なすぎると思います。どういうことなんでしょうかね。歴史戦という意味ではこういう知識は多く知っておく必要があると思いますので、見つけたら今後もその都度、ご紹介したいと思ってます。しかしこれの出典はWikipediaには示されていません。桂・タフト覚書は外務省によると下記のように書かれています。

残念ながら日本側原本は消失しています。そのため、外交史料館で編纂している『日本外交文書』第38巻第1冊(明治38年)には、アメリカの外交文書から同覚書を引用しています。

下記のページに資料はございます。

外務省: 外交史料館 日本外交文書デジタルアーカイブ 第38巻第1冊(明治38年/1905年)

上記の部分はここでしょう。

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さあ、今日はこの辺にしといたろかー。

倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで① - 王蟲の子供
倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで② - 王蟲の子供
倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで③ - 王蟲の子供
倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで④ - 王蟲の子供
倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで⑤ - 王蟲の子供
倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで⑥ - 王蟲の子供

倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで⑦ - 王蟲の子供 
倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで⑧ - 王蟲の子供
倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで⑨ - 王蟲の子供
倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで⑩ - 王蟲の子供
倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで⑪ - 王蟲の子供

倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで②

倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで① - 王蟲の子供
倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで② - 王蟲の子供
倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで③ - 王蟲の子供
倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで④ - 王蟲の子供
倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで⑤ - 王蟲の子供
倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで⑥ - 王蟲の子供

倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで⑦ - 王蟲の子供 
倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで⑧ - 王蟲の子供
倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで⑨ - 王蟲の子供
倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで⑩ - 王蟲の子供
倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで⑪ - 王蟲の子供

 

さて第一章から行きます。繰り返しますが、枝葉末節なとこに焦点を当てて調べたりしていきますので、倉山さんの言いたいことをそのまま知りたい方はお買い求めください。まず清国建国のことから始まりますがばっさりカット。以下引用ではなく要約なのでご注意を。

日清戦争で決定的に落ちぶれた清。北京が首都だが満洲自体は父祖の地として、いざという時の逃げ場として漢民族流入を禁止していた。しかし1900年の北清事変のドサクサでロシアが居座る。皇帝から全権委任された漢民族李鴻章がロシアに東清鉄道の建設許可の密約を結ぶなどロシアの軍事基地として差し出す。李鴻章漢民族だったから満洲人父祖の地などどうでも良かったのかも。日本はロシアが満洲にいるのは認めるから朝鮮には来ないでくれと「満韓交換論」を提案するがロシアは相手にせず。 「39度線以南には来ないでくれ」と要求するがこれも無視。1904年日露戦争。自国領土が戦場なのに清も朝鮮も中立宣言。日本はロシアを満洲まで押し返す。

本書では触れられていませんが、東清鉄道の建設許可は三国干渉に対する対価ですので、触れておくべきでしょうね。 三国干渉の結果、日本の要求はある程度突っぱねられたものの、列強による分割が進んだことを考えると、賢い選択だったかは分かりませんが。日清ともにどうすべきだったか議論はあるでしょうが、いずれにしても三国さんはいい面の皮ですわね。李鴻章は海防強化を手動したものの、北洋艦隊の練度では日本に勝てないと判断し日清戦争に反対するなど、それなりにバランスの取れた人のようにも感じるけど、まあ詳しくは知らないのでとりあえずここまでで。ちなみに李鴻章に関しこれより前の日清修好条規Wikipediaに下記の記述があります。

李鴻章はこれに同意し、西洋諸国が中国より遠く隔たっているのに対し、日本は清国の隣邦であり、これを「籠絡」すれば清国を扶助することにもなるが、一方、「拒絶」すればかえって清国の仇敵となる怖れもあろうとの考えに立ち、日本との条約締結をしばしば清国政府に建言した[3]。ただし、実際のところ、大久保利通ら日本政府の首脳は日清両国が協力して西洋諸国にあたろうという考えは毛頭もっておらず、柳原自身も自身の見解を国交樹立までの一時の方便とみなしていた[3]。

日清修好条規 - Wikipedia

これが事実かどうか知識はありませんが、この「毛頭思っておらず」についてほんまかいなと思ったので、[3]の本を書いた人を調べました。井上清という「釣魚諸島(尖閣列島など)は中国領である」という論文を書いたり、文化大革命を支持するような人だということを付言しておきましょう。Wikipediaは折角こういう出典が書いてある場合がそれなりに多いのだから大いに利用しましょうね。こういうのが中国に尖閣領有の根拠として利用されるんだからマジふざけんなって感じですよね。

井上清 (歴史家) - Wikipedia

 

では次に行きます。

日露戦争満洲は実質清が支配が出来る土地ではなくなっていたので警察が存在せず、馬賊匪賊の暴れ回る無法地帯に。漢族も大量流入し混乱に拍車。当時は奉天吉林黒竜江を東三省と呼称。一般的に言えばこの三省の範囲が満洲だがついでのような扱いの熱河だが、満洲父祖族父祖の地であり、溥儀が熱河を欲しがったのはこれが理由。

清の定めた満漢間の通婚禁止令を無視して漢人も勝手に入植して軍閥を形成(張作霖の父、張有財など)。錦州までモンゴル人がいたので日本でこの地の権益問題を満蒙問題という。

父祖の地として漢民族流入を禁止していたが、無視して入ってたやつもいて、日露戦争後には大量に流入したということのようだけど、細かいとこが気になる私としては、だいたいでもどれぐらいなのか数字が欲しいなあ。まあそんな統計はないかな。

熱河作戦については後にまた出てくるけども、ほんと溥儀ってやつは。ラストエンペラーとして映画でも有名だけども、時代に翻弄された可哀想な人みたいな捉え方の人がもしかしたら多いんだろうか。ああいう映画を脚色はあるにしても概ね史実と捉える人って案外多いんだろうから。昔見たと思うんだけど内容はすっかり忘れました。エッチくんによると共産党まで美化してるそうですが、Amazonの下記のレビューとか見るとそうなんでしょうね。

でも、彼は中国共産党の中で救われて、人間として幸せな人生を送れたような気がする。

Amazon | ラストエンペラー [DVD] | 映画

ちなみに熱河作戦に関しては、それ以外に戦略的な意味もあったようではあります。昭和天皇は「万里の長城を超えて関内に進入することなき条件」の下で実行を認可したそうです。

 

次に行きます。

 日露戦争ポーツマス条約と北京条約で整理された。日本は「満洲は清の主権下であることをこのたびロシアに認めさせた。したがって、ロシアから譲渡された権益は、その移動については主権者たる清の承認が必要である」と考えた。満洲について北はロシアが権益を持ち、南は日本が権益を持ち、形式的には清が主権を持つ、としたのが北京条約。この条約時の秘密議事録に「満鉄平行線の禁止」があるが、その後張作霖、張学良が「満鉄包囲鉄道」を事業展開。蒋介石南京政府は三本つくれと言ってくる。

リットン報告書の時にも出てきますが、この「形式的には清国の主権」って今の時代には分かりづらいですよね。っていうか私も分からないし、当時の人なら分かるのかも知りませんが。アハ。いずれにしても、鉄道の利権というのが途轍もなく大きな利権であると認識されていたということは知っておく必要があるんでしょう。

 

今回はこの辺で。いやー、この調子だといつになったら終わるか分かりませんがまあのんびりやります。

 

倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで① - 王蟲の子供
倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで② - 王蟲の子供
倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで③ - 王蟲の子供
倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで④ - 王蟲の子供
倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで⑤ - 王蟲の子供
倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで⑥ - 王蟲の子供

倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで⑦ - 王蟲の子供 
倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで⑧ - 王蟲の子供
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倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで⑩ - 王蟲の子供
倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで⑪ - 王蟲の子供