習近平新時代中国特色社会主義思想と高考

中国や韓国への過剰な配慮を日本人に求める左翼の方々は愛国心を教育することなどを否定しますが、それらの国で愛国心を教育することは普通のことであります。愛国心教育の是非はともかく、彼らは中国韓国等での愛国心教育など、日本で行われれば彼らが気違いのように批判するであろうことを伝えるのが最低限の責任ではないでしょうか。

 

例えばちょうど一年ほど前、中国共産党第十九回全国代表大会というのがあり、そこそこ日本でもニュースになりましたが、そこで決められた「习近平新时代中国特色社会主义思想(習近平新時代中国特色社会主義思想)」の内容は既に高考(大学入試)で問われる内容であり、言うまでもなくその試験に於いて習近平を批判することなどは許されません。許されないというか点数が低くなるので、そんなことする馬鹿はいないでしょう。

 

日本で仮に例えるならば、センター試験安倍晋三の思想を問う感じでしょうか。そんなことを左翼でもリベラルでもいいですが、そういう立場の日本人は許すんでしょうか。絶対に許しませんよね。海外について伝えるべきことの優先順位は色々あるでしょうから、このようなことを必ずマスコミが伝えるべきとは言いませんが、中国韓国の仲間のようにすら見える上記の方々は絶対に伝えなければダブルスタンダードと言えるでしょう。

杉田水脈氏へのバッシングと稲田朋美氏へのバッシングの違い

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第4次安倍改造内閣発足以来、まあ予想通り批判が多いわけですが、よく見るのは柴山昌彦文科相教育勅語に関することでしょうかね。上記の記事はその件を初めとして、様々な閣僚の”問題点”が指摘されております。その中でやはり暫く前から批判の嵐に晒されている杉田水脈氏に関係することも。例えば。

 

原田義昭 環境相
「杉田さんは自民党だけではなく国家の財産ですよ」
ジャパニズム』41(2月10日発売)

 

杉田水脈氏が国家の財産というような論は慰安婦問題に関心を持ってる保守層にはしばしば見られる言い方です。慰安婦問題について杉田氏が八面六臂の活躍をしていたことはよく知られたことであり、左翼が杉田氏を攻撃するチャンスを手ぐすね引いて待っていたことは容易に推測され、新潮の件はそのチャンスを左翼に献上してしまったとも言えるでしょう。まあこの件が最終的にどう転ぶかまでは分かりませんが。

 

さて、私が思い起こしたのは去年の稲田朋美氏へのバッシングです。あの件では今回の杉田氏への応援と異なり、保守層までも批判に回りました。確かに稲田氏にも反省すべき点はあったと思いますが、稲田氏が大臣に抜擢される以前は強烈に応援していた保守層も多かったと思います。もちろん大臣は、一議員の杉田水脈氏とは立場、責任も違いますし、両者には他にも色々違いがあるので単純に比較はできません。しかし「この人ならば!」と思った人ならばバッシングされてる時ほど支えるべきだと思うんですがね。まあ杉田氏は政治家と言うよりは活動家的側面の大きい人なので大臣とかにはならないと思いますが、仮になったとしたら、何かの瑕疵を見つけて見切りをつける保守層も多いのではないかと邪推してしまいます。

 

この先杉田氏がどう活躍されるかは分かりませんが、今応援してる人は今の気持ちを忘れないでもらいたいものです。

韓国観艦式自衛隊不参加決定を受けて

headlines.yahoo.co.jp

 

どうなることかと思っていましたが取り止めになるとはね。当ブログは保守系にしては韓国への批判は抑えめにしてましたが、やはり腹立たしいです。というか呆れてるというか。

 

現実的に日本と協力すべきかどうかよりも、意味不明な面子が大事というのは、李朝末期に明治政府との間に起こった書契問題を彷彿とさせます。

 

このように韓国朝鮮は国を過つことを繰り返すのかなとも思いますし、明治時代の日本人が怒ったのもこんな感じだったのかなとも思います。今はもちろん征韓論などは起こりえませんが、時代が時代なら戦争のきっかけになりうるぐらいの失礼さでしょうね。今はそんな時代ではないので距離を取りたいという方向でしょうが。

 

しかしこんなことも多くの日本人には大したインパクトにならないし、「旭日旗について改めて論ずるべき」とか「旗ぐらい下げる度量を見せるべき」という論調のマスコミに同調する日本人も多数だろうというのがエッチくんの見立て。

 

しかし明治政府のように軍事を利用せずとも韓国に対する強いメッセージを政府は出すべきだと思います。日韓慰安婦合意の問題で長嶺駐韓大使を帰国させた時、内閣支持率より遥かに高い割合の人が帰国させたことを支持してたことを考えれば、国内的に内閣が支持を失う可能性も低いと思うのですがいかがでしょうか。

玉城デニー氏の勝利を受けて

沖縄県知事選挙、玉城デニー氏が当選とのこと。最近サボってたものの沖縄の重要性を度々説いていた私としては非常に残念な結果となりました。色々と言いたいことはありますが二つ。

 

まず一つ目、特にエッチくんが言ってたことですが、今の沖縄の混乱をもたらした大きな原因の一つは鳩山由紀夫氏の例の発言であり、とんでもない人が政権に一度つくとこのように10年単位で禍根を残すことがあるということ。

 

二つ目。前回の知事選で翁長氏が勝った時に私は自民党復権以降注目していた選挙の中で一番悔しい選挙だと書いたんですが、その後の選挙の中で今回が一番悔しい選挙であり、沖縄の状況というのは想像よりも酷い状況であることを再認識しました。暫く沖縄の混乱は続くことになります。インターネット上では沖縄のことなんて見捨てろ的な発言も散見されますが、長い目で見て保守派はもっと地道に沖縄に力を入れるべきだと思います。考えてみれば半世紀近く左翼が力を注いでいた地域であり、それが今回の玉城氏の勝利にも繋がっていることを考えれば保守派も長期的視野を持って沖縄に力を注ぐべきだと言えるでしょう。

枝野幸男の内閣不信任案演説と斎藤隆夫の反軍演説

ほとんどの人が何のためにやってるのか分からないであろう内閣不信任案の提出。枝野さんらの支持者が名演説と絶賛して、後世斎藤隆夫の反軍演説に比肩するものとして評価されるだろうとTwitterなどで書いてるのを見たので一言。

 

youtu.be

 

note.mu

 

評論するからには本来枝野さんの演説も全部聞くべきなんでしょうが、流石に三時間は勘弁してもらいます。続きまして斎藤隆夫の反軍演説の抜粋。

youtu.be

「粛軍演説」となってますが「反軍演説」の間違いだと思います。まあ私は枝野さんの演説が斎藤隆夫の反軍演説のような評価を後世受けるとは思いませんが、それは現在の政情を私がある程度知っているからであって、それを実感として感じることの出来ない後世の人が、枝野さんの演説の一部を切り取ったところをもって評価するということは一応あり得るのかもしれません。

 

さてこの斎藤隆夫の反軍演説ですが、恐らく枝野演説を絶賛してる方たちはもちろん、保守の人にも評価する人が多いかもしれません。しかもどちらの側も斉藤演説の真意を理解してるかというのは疑問です。この斉藤演説の一般的な評価に対して疑義を呈しているブログ記事がありましたのでリンクします。概ね私もこの方の見方と同意見です。

 

jseagull.blog69.fc2.com

 

確かに斎藤隆夫自由主義者で反ファシズム、軍部や当時の政治家に対しての鋭い批判を行っていますが、それはよく読めば全く枝野演説を絶賛してる人たちの認識とは違うものであることは明らかです。

 

彼によれば戦争は生存競争の結果であって正義でもなければ罪悪でもない。侵略を人道に反するというのも意味がわからない。人類はこの生存競争によって成長してきたのである。競争なくして人類の進歩はない。

国際競争には戦争が伴い、戦争には侵略が伴うが、侵略は決して邪悪にあらざるのみならず人類進歩の必要条件である。 侵略しなけれは人類は進歩せず、世界の文明も発達せない。 

(中略)

即ち実に国民精神を捉え、国民挙って中心より喜び勇み自ら進んで戦争の犠牲たらんことを希わしむるに当りては、 国家と国民とを有機的に結合し、国民をして心の底から理解せしむるに足るべき哲理上の根拠を示さねばならぬ。 腐儒の人道論や神がかりの天佑論などは戦時に当りては害あって益なし。 次から次にと現われ出づるスローガンの如きものも、之を屡々すれば却って国民軽侮の的となるべし。 勢いに阿る群小政治家、職業記者、自称愛国者乃至官僚の言説の如きは取るに足るべきものなく、是に於て学者の奮起を希うの情切なるものがある。 戦争は凡ゆる者を動員する。

「戦争の哲理」

 紹介したブログにも書いてあるように国民に苦労を強いるなら、聖戦とか世界平和とか美辞麗句を並べるのではなく実利をよこせってことでしょう。

 

ここで斎藤隆夫の思想についてどうこう言うつもりはありません。人間というのは如何に自分の都合の良いようにトリミングして自己の都合の良いように使うかを示したかったのです。

 

斎藤隆夫の演説自体についてはこのようなステレオタイプな見方以外に当時の政情を理解する上で考察すべき点はあると思うのですが、まずそのためにもこのようないい加減な理解は駆逐したい。更に人間というのは下手をしたら今回の枝野演説を後世評価してしまう人がいるかもしれないぐらいの存在だということです(斎藤隆夫枝野幸男を比べるのは斎藤に失礼とは思いますが)。通説に疑問を常に持ち続ける姿勢は物を考える者としては絶対に失ってはいけないところでしょう。

石原莞爾6~昭和維新とアジア主義~

満州国 ~石原莞爾編~ - 王蟲の子供
石原莞爾2 - 王蟲の子供
石原莞爾3 ~最終戦争への準備期間としての統制~ - 王蟲の子供
石原莞爾4 東亜・大東亜の範囲 - 王蟲の子供
満州国4~石原莞爾の中国観の変遷~(石原莞爾5) - 王蟲の子供

昭和維新とは五・一五事件二・二六事件で有名ですが、そもそも何なんでしょう。まあざっくりしたところはWikipediaでも見てもらうとして、石原莞爾にとっての昭和維新を見ていきます。

 

他の人の場合もそうでしょうが、昭和維新というからには明治維新を念頭に置いているわけです。石原莞爾に言わせれば明治維新幕藩体制のバラバラ状態からの日本の統一です。では昭和維新はというとそれは東亜の統一ということになります。

 

明治維新天皇という日本の核になる存在があったので実現できたのでしょうが、東亜全体としてはそれはないと思いますよね。石原としては依然その中心に天皇があるのですが、やはりそれを東亜の諸民族に納得させるのを急いてはいかんということで、天皇のもとの東亜連邦ではなく、東亜連盟という形をとりあえず採りました。

 

これまで見てきたように石原莞爾の東亜は日満支なのですが、五・一五事件で服役した大川周明の大アジア主義の場合は更に広く、印度、支那、日本を中心にまあだいたい今アジアと言われる地域全体を考えてるようです(イスラム研究でも有名ですね)。

 

今の我々から見れば日本も中国もインドも他のアジアも全然違うじゃないか、と思うわけですが、では当時の人たちもそう思わなかったのかと言えば流石に思っていたようです。しかしそれでも何故「アジアは一つ」なのか。「新東洋精神」などは短く読みやすいしPDFで見れるので良かったら。

新東洋精神

支那精神は現実的・倫理的であり印度精神は瞑想的・宗教的であり、日本は両方を採り入れたという意味でも、皇室が中心にいたため古きを失わず新しいものも包摂出来るという意味でも最も東洋的であり、日本精神こそがアジアの中心たるべきものだそうです。大川も石原も他民族軽視の排外主義は戒めているのですがしかし…。

 

結局のところやはりアジア主義というのは西洋の圧迫に対する反作用だろうと思います。これは時代の流れから見ればやむを得ない。明治維新が世界的に有名なのは全く当然でそれだけ奇跡的なことだったんだでしょう。明治維新アジア主義も外圧に対する反作用という点では同じだがアジア主義には核がなかった、或いは天皇はアジアの核にはなれなかったということだと思います。

満州国4~石原莞爾の中国観の変遷~(石原莞爾5)

満州国 ~石原莞爾編~ - 王蟲の子供
満州国2 ~満州人脈編~ - 王蟲の子供
満州国3 ~大東亜共栄圏と左翼の思想的類似性~ - 王蟲の子供 
石原莞爾2 - 王蟲の子供
石原莞爾3 ~最終戦争への準備期間としての統制~ - 王蟲の子供
石原莞爾4 東亜・大東亜の範囲 - 王蟲の子供

 

石原莞爾の著作や講演録は満州事変以後のものがほとんどなのですが、事変前の昭和六年五月に「満蒙問題私見」というのを書いています。この時期は満州建国ではなく満州領有を考えていた時期です。何故満州を勢力下に置くべきかということですが、まず既にこのころから既に日米による最終決戦が行われるという思想が前提にあります。北満まで勢力下に置くことによってロシアは南下出来なくなり、初めて安心して南の米英と戦うことが出来る。

 

この満州領有論の時期の石原莞爾は中国人の能力に疑問を持っていて、在満三千万人の共通の敵である軍閥の打倒は日本の使命だと言っています。そしてそれは支那本土の統一を招きそれは欧米の経済にも良いはずだが、嫉妬心の深い欧米諸国はことによっては武力によって反対してくるだろうから、それを覚悟しなくてはいけない。満蒙問題は対支問題ではなく対米問題だと。

 

この他、食料問題、工業問題、失業者問題、朝鮮問題など色々少しずつですが触れられてて面白いのですが、今回は触れず、石原莞爾の対中国観について書きたいと思います。この時期は先程も書いたように中国人の能力に疑問を持っていた。昭和十七年、満州事変から11年後に「満洲建国前夜の心境」というのを書いています。それによると石原の支那問題に対する関心は幼年学校からのものであり、辛亥革命の時には万歳を叫んで喜んだそうです。しかしその後結局軍閥軍閥の抗争で革命の精神は実現せず、中国人の政治能力に疑いを抱くようになった。そこで日本の存立のためだけでなく中国人の幸福のためにも日本が満蒙を領有すべきと強硬に主張した。しかしその後蒋介石による統一が進み、また満州事変の時の満州人、漢民族の日本軍に対する献身的な協力を見て中国人自身による革新政治は可能と考えるようになり領有論から独立建国論に転じた。とのこと。

 

これまでも何回も書いてきたように非常に中国に甘い見方をする石原莞爾も一時期は疑問を持っていたころもあったってことですね。石原莞爾は昭和二十四年(1949)に亡くなってますが、その後の大躍進政策などを見てまた中国観を変えたでしょうか。仮に変えたとして、では日中国交正常化、或いは改革開放路線後はどうでしょうか。

 

姐さんは日本が大陸半島のどうしようもない姿を見て、特に日露戦争後ぐらいからあアジア主義的な機運が高まってきた気がすると言ってました。あれだけ東亜大好き石原莞爾も当時の中国を見て幻滅せざるを得ない状況だったのでしょうが、ちょっとしたことがきっかけでまた中国への期待を持ってしまう。

 

そう考えると、石原莞爾も批判してた他民族蔑視の傾向が見られたことと、アジアの盟主としてアジアを導き解放しなければならないという使命感は表裏一体のものかもしれません。どちらにしても傲慢と取られても仕方ない。衷心からのことというのはあまり関係がない。近代文明を教えてあげたとか、戦後日本に民主主義を根付かせてあげたとかいうアメリカの傲慢さと似てる。

 

こうは言っても僕は戦前の日本を悪意を持ってしか見ない日本人は心の底から軽蔑してますけどね。私が考えているのは過去の失敗を繰り返さず今後に活かそうということだけです。

 

「満蒙問題私見」と「満洲建国前夜の心境」はともに下記のサイトに載っています。

http://www2s.biglobe.ne.jp/t_tajima/nenpyo-5/ad1931b.htm

 

石原莞爾6~昭和維新とアジア主義~ - 王蟲の子供