石原莞爾4 東亜・大東亜の範囲
満州国 ~石原莞爾編~ - 王蟲の子供
石原莞爾2 - 王蟲の子供
石原莞爾3 ~最終戦争への準備期間としての統制~ - 王蟲の子供
前回、国家主義から世界統一に向かう中間に国家連合の時代があり、それが4つに収斂しつつあるという石原莞爾の主張に対し、論拠が曖昧だと書いたんですが、第二次近衛内閣で閣議決定された基本国策要綱にも似たような記述がありました。
世界は今や歴史的一大転機に際会し数個の国家群の生成発展を基調とする新なる政治経済文化の創成を見んとし
基本国策要綱 - Wikipedia
当時の世相として、こういう見立てが割と常識だったのかもしれませんね。ただし石原莞爾の言うような国境までなくすようなところまで踏み込んで書いてないので、もっと緩やかなブロック経済圏ぐらいの意味なのかもしれません。
この近衛内閣の基本国策要綱を見ると、これ以外にも石原莞爾の主張との類似性が多々見られます。石原莞爾の方がより政策的にも具体的で、しかも社会主義国家のラディカルな政策のようですが。石原莞爾自身も、基本国策要綱ではないですが、近衛声明は東亜連盟の思想と相通ずるところがあると言っています。
こう見ると大東亜共栄圏という発想は特段誇大妄想的なものでもなく、当時としては自然な発想の一つだったのかもしれません。ちなみに基本国策要綱にしても石原莞爾の東亜連盟にしても基本は日満支の連帯です。南方に関してはどうなのか。東條英機の極東軍事裁判での証言を見てみましょう。この基本国策要綱の時点での「大東亜」にはどこの国民が入るのかという質問に対してです。
東条証人
はい。日本及び日本国民。中国、中国国民。満州国、満洲国民。タイ国、タイ国民。仏印、仏印国民-----もっともこれはフランス領ですけれども。オランダ国、オランダ国民、すなわち東インドですね、仏領インド、仏領インドの国民-----いや、蘭領インドの国民です。
キーナン検察官
それで全部ですか。
東条証人
この当時は、そういうふうな、まだ漠然たる考えしか意味していなかったのです。「大東亜」という言葉は時代によって変化しております。殊に大東亜戦争-----あなた方で言うならば太平洋戦争-----これ以後において非常に変化したのです。
キーナン検察官
それでは、フィリピン群島も大東亜圏の中に包含されていたのですか。それとも除外されていましたか。
東条証人
この当時、すなわち一九四○年の七月の頃においては、まだフィリピンというものは明確な意識に入っておりませんでした。
キーナン検察官
当時、あなたの観念の中に明確にはなかったということですが、それでは明確にではないにせよ、あなたの観念の中にフィリピンという構想が少しでも入っていたかどうか。
東条証人
この場合には、「少しでも」と仰せになれば、それは少しは入っていたでしょうけれども、明確にはこの際にはまだそう熟していなかったと申し上げているのです。明確になったのは太平洋戦争以後です。
キーナン検察官
それでは、マレー諸国はどうですか。
東条証人
忘れていました。マレーも入っています。
キーナン検察官
それでは、あなたの記憶をもう少し新たにしていただけませんか。あなたはマレーのことを忘れていましたが、それではインドの方はどうですか。あの小さなインド。
東条証人
インドは相当に大きいのですが、この際においてはインドのことは深く考えておりませんでした。但し貿易的には、もちろん当時関係はありました。
キーナン検察官
それではビルマはどうですか。あなたがすでに含められたのに、私が忘れたのでしょうか。聞き漏らしたのでしょうか。
東条証人
いや、私はそれはわざと申し上げなかったのです。すなわち、この時代に「大東亜」というときには、まだそこまでは意識していなかった。ビルマというものがはっきり意識されて来たのは、太平洋戦争後です。
キーナン検察官
オーストラリアはどうですか。
東条証人
そんなものは入りません。
では石原莞爾の考える東亜、或いは大東亜はどうでしょうか。昭和17年10月30日発行の「昭和維新宣言」で東亜連盟の範囲について語ってる部分。
大アジア主義は八紘一宇に至る中間の美しい理想である。しかし大アジア全部を共同内に入れることは、今日まだ希望の範囲を超えることはできない。我等は欧米覇道主義の厭迫を排除し得る範囲に東亜連盟の範囲を限定しているのである。言い換えれば、東亜、特に現在日本の武力が絶対的優勢を占め得る地域である。 吾人はシンガポール以東濠洲を含む地域を東亜地域と読んで、軍事的に右述べた地域と信じておった。大東亜戦争の発展によってこの地域が、皇軍武力のもとに瞬間的に、東亜連盟の結成を迅速に可能ならしめる状況になってきたことは我々の感激に耐えないところである。
しかしどこまでも東亜連盟の中心は日満華の三国であることを忘れてはならない。南洋人は我々は解放しなければならないが。今日南洋に優秀なる民族は存在しないのである。遺憾ながら最終戦争において彼らに多くを期待することはできない。
当時の優生学思想バリバリの差別的発言ですが、なんでこんなに中国人が好きなんでしょうね。日米戦争は時期尚早として反対してたという石原莞爾ですが、当然戦争中は絶対に勝たなくてはならないと言って、この時期はすでにミッドウェー海戦後とは言えまだ意気軒昂な感じですね。
大東亜共栄圏に関して、日本の侵略なのか、植民地解放なのかという結論の出なそうな議論がありますが、昭和16年2月3日の第8回大本営政府連絡懇談会に於いて次のような事項が承認されています。
三、帝国、は大東亜共栄圏地帯に対し政治的指導者の地位を占め、秩序維持の責任を負う。この地帯に居住する民族は独立を維持させ、あるいは独立させるのを原則とするが、現状で英国、フランス、オランダ、ポルトガルなどの属領である地方であって独立する能力のない民族については、それぞれの能力に応じて出来る限りの自治を許容し、自らは統治指導の責務を負う。
この会議で陸軍(陸相の東條英機?)が「民族独立のことは朝鮮のこともあるから慎重なるを要す」と言うのに対し、松岡洋右外相が「百年の大計を考えたるものなり朝鮮の件は分かって居る」と答えるやりとりがあります。返す返すも日韓併合は痛恨事ですね。