石原莞爾6~昭和維新とアジア主義~

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昭和維新とは五・一五事件二・二六事件で有名ですが、そもそも何なんでしょう。まあざっくりしたところはWikipediaでも見てもらうとして、石原莞爾にとっての昭和維新を見ていきます。

 

他の人の場合もそうでしょうが、昭和維新というからには明治維新を念頭に置いているわけです。石原莞爾に言わせれば明治維新幕藩体制のバラバラ状態からの日本の統一です。では昭和維新はというとそれは東亜の統一ということになります。

 

明治維新天皇という日本の核になる存在があったので実現できたのでしょうが、東亜全体としてはそれはないと思いますよね。石原としては依然その中心に天皇があるのですが、やはりそれを東亜の諸民族に納得させるのを急いてはいかんということで、天皇のもとの東亜連邦ではなく、東亜連盟という形をとりあえず採りました。

 

これまで見てきたように石原莞爾の東亜は日満支なのですが、五・一五事件で服役した大川周明の大アジア主義の場合は更に広く、印度、支那、日本を中心にまあだいたい今アジアと言われる地域全体を考えてるようです(イスラム研究でも有名ですね)。

 

今の我々から見れば日本も中国もインドも他のアジアも全然違うじゃないか、と思うわけですが、では当時の人たちもそう思わなかったのかと言えば流石に思っていたようです。しかしそれでも何故「アジアは一つ」なのか。「新東洋精神」などは短く読みやすいしPDFで見れるので良かったら。

新東洋精神

支那精神は現実的・倫理的であり印度精神は瞑想的・宗教的であり、日本は両方を採り入れたという意味でも、皇室が中心にいたため古きを失わず新しいものも包摂出来るという意味でも最も東洋的であり、日本精神こそがアジアの中心たるべきものだそうです。大川も石原も他民族軽視の排外主義は戒めているのですがしかし…。

 

結局のところやはりアジア主義というのは西洋の圧迫に対する反作用だろうと思います。これは時代の流れから見ればやむを得ない。明治維新が世界的に有名なのは全く当然でそれだけ奇跡的なことだったんだでしょう。明治維新アジア主義も外圧に対する反作用という点では同じだがアジア主義には核がなかった、或いは天皇はアジアの核にはなれなかったということだと思います。