石原莞爾3 ~最終戦争への準備期間としての統制~

満州国 ~石原莞爾編~ - 王蟲の子供
石原莞爾2 - 王蟲の子供

石原莞爾の考えがマルクス主義に似てると書いたのは、必然的な歴史的段階を辿ってマルクス主義ならば共産主義社会の実現、石原莞爾なら世界統一がされ(マルクス主義でも世界革命という考えがあるから似たようなものかもしれませんが)、人類の前史が終わるという考えからです。しかも石原の場合も結局ほぼ西洋史をもとに考えています。これは石原自身も知識の不十分を認めていますが。

 

私はこの時点で両者とも全く机上の空論でしかないと思ってます。マルクス主義では資本主義社会の矛盾によりプロレタリア革命が起こり共産主義社会へという流れでしょうが、では石原莞爾の場合はどうなのか。また前回も貼った表を再掲します。

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国家主義から世界統一の間に国家連合の時代があり、現在(石原莞爾の時代)は国家連合に収束しつつある時代ということです。そしてこれは4つに統合される。東亜、アメリカ園、ヨーロッパ圏、ソ連圏ですが、なぜこの4つなのか。

 

まずソ連社会主義連合、「共産主義への世界の魅力は失われましたが」この20年の経験と実力は無視できないと。魅力はどう失われてたんですかね。大川周明の「日本二千六百年史」(昭和14年発行)には

之を今日の吾国の共産主義者が、ロシアを「吾が祖国」と呼んで恥ずるところなきに比ぶれば 

 と書いてるんですが。これはやばいねー。尾崎秀実のようなのも生まれるわけだ。これに対して警戒感を抱かないほうがおかしいよね。とは言え、自らの主義に反するものをなんでもアカとレッテル貼りして排撃することには石原莞爾も警鐘を鳴らしてます。まあこれはまた別の話ですね。閑話休題*1

 

次にアメリカ。南米諸国は経済的にヨーロッパとの結びつきが強いし利害、感情ともに一致せず、合衆国を中心とするのに対する抵抗は根強いけども、だいたいアメリカの連合に向かってると。

 

そしてヨーロッパ。石原によればナチのような独裁者は打倒して自由主義に基づく新しいヨーロッパの連合を作ろうというのがイギリスの知識階級の世論だと。ドイツもフォン・パーペンが「ドイツが勝ったならばヨーロッパ連合を作るのだ」と言ったようにナチの理想に基づいたヨーロッパ連合をつくるのがヒットラーの理想だろうと。いずれにせよヨーロッパ連合に向かう。現実には大英帝国というブロックがあるけれど、19世紀で終わったもので、現在の領土も日米の自重によって保持出来てるに過ぎないず、ベルギーやオランダ同様実力以上の領土を持っている。

 

最後に東亜です。日支は現在大戦争中だけども、開戦当初から代償は求めず、日支の新しい連携を確立できればよいと言ってる。今は本当に連携するための悩みだと。明治維新以来民族国家を形成するため他民族を軽視した面は否定できずこれは反省しなくてはいけない。中華民国民族主義も新しい時代に即したものに変わるだろう。科学文明に立ち遅れた東亜は精神力、道義力によって連帯しなくてはならず、聡明な両民族は分かるはずだと。

 

なんだかどれも論拠が曖昧な気がします。僕も全ての著作や講演録を読んでるわけではないので、もし説得力があることを書いてたら追記します。さも当然かのように書いてるので当時の感覚がないと分からないのかもしれません。いずれにしても国家主義から国家連合に変わるということで、ではこの時代の指導精神は何か。国家主義の時代は自由主義で、国家連合の時代は統制主義だそうです。

 

国家主義の時代というのはフランス革命からを言ってますが、百姓に戦争させるわけだから、それまでの傭兵のように熟練を要する横隊戦術は採れず、散兵戦術を採用した。これは各兵、各隊に自由を与える自由主義の戦術だそうです。第一次世界大戦以降は兵器の発達により、縦深防御の面式の戦術となり、この戦術で自由に任せていては混乱に陥るから統制が必要になった。

 

この「統制」という言葉が少し分かりづらく石原莞爾の場合も全体主義という意味に近く使われてることがあります。いずれにしても当時のソ連やドイツがこの代表。両国の急速な発展を見て、多くの日本人がこの統制主義を見習うべきものと考えたんでしょう。ドイツやソ連のの発展は驚異的なものに映ったようですね。統制主義の能率については戦後の「新日本の進路」で次のように書いています。

アメリカは今日、日本を自由主義國家の範疇において獨立せしめんとしている。しかし嚴密なる意味における自由主義國家は、既に世界に存在しない。そもそも、世界をあげて自由主義から統制主義に移行したのは、統制主義の能率が自由主義に比べて遙かに高かつたからである。イタリア、ドイツ、日本等、いづれも統制主義の高き能率によつて、アメリカやイギリスの自由主義と輸贏を爭わんとしたのである。これがため世界平和を攪亂したことは嚴肅なる反省を要するが、それが廣く國民の心を得た事情には、十分理解すべき面が存するであろう。


ただしアメリカが自由主義から堂々と統制主義に前進したに反し、イタリアもドイツも日本も、遺憾ながら逆に專制主義に後退し、一部のものの獨裁に陷つた。眞のデモクラシーを呼號するソ連さえ、自由から統制への前進をなし得ず、ナチに最も似た形式の獨裁的運營を行い、專制主義に後退した。唯一の例外に近きものは三民主義の中國のみである。かく觀じ來れば、世界は今日、統制主義のアメリカと專制主義に後退せるソ連との二大陣營の對立と見ることもできる。

この中国への甘い味方は何なんでしょうね。ちなみに蒋介石について、抗日をスローガンに支那の民心を一つにした全体主義国家であり、日本のお蔭で支那を統一してると言っています。この点、現在の中国と変わりませんね。しかし彼はそれでも尚中華に甘いんですね。同じく「新日本の進路」から

しかるに三民主義の中國は、蔣介石氏の獨裁と非難されるが斷じてしからず、蔣氏は常に反省的であり、衰えたる國民黨の一角に依然美事なる統制えの歩みが見られる。毛澤東氏の新民主主義も、恐らくソ連のごとき專制には墮せず、東洋的風格をもつ優秀なる思想を完成するに相違いない。我等は國共いづれが中國を支配するかを問わず、常にこれらと提携して東亞的指導原理の確立に努力すべきである。この態度はまた、朝鮮新建設の根本精神とも必ず結合し調和し得るであろう。

 

石原によると、この統制主義を人類文化の最高方式と考える人も多いようだが、この統制は窮屈で緊張を強いるものだから長続きはしない。自由主義と統制主義の昇華されたものが次の時代の指導精神になるだろうということです。これがどういうものかは明確でなく表でも空欄になってますね。王道対覇道の勝者なんでしょうが。端々に輪郭は書かれてるけども明確には書けなかったのでしょうね。まあ少なくとも私は納得出来ませんでした。

 

来たる最終戦争に向けて今は統制主義でやむを得ず、我が国で自由から統制への後退に見える場面があったのも自然の勢いだが、個人の創意や熱情が国家にも大切だから自由を大切にせねばならず、逐次、専制的部分は縮小しなくてはいけない。戦術的にも統制というものは自由積極的に目的のために全力を挙げさせなくてはならないので、自由を抑制するためではなく、自由活動を助長するためでなくてはならない。今の戦術では独断の余地が大きいから日本の上等兵ソ連の中隊長以上でなければならないと考えて下士官に戦術を教育させてたとのこと。

 

また、自由主義と枢軸の戦いのようになっているが自由主義陣営のアメリカやイギリスも統制が進んでると述べています。一番自由主義で成功してるアメリカでの統制主義の表れは「國内におけるニユー・デイール、國際的にはマーシヤル・プラン、更に最近に到つては全世界にわたる未開發地域援助方策等」だそうです。そしてこの統制の時代は最終戦争の準決勝或いは決勝戦前の合宿のようなものだそうです。

 

 

あんまり上手くまとめられなかったかもしれませんが、まあこんな感じ。石原は東洋の戦史を研究しても同じ結論になるはずだと確信しているようですが、マルクス主義と同じように、これまでの歴史の流れを必然と見て予測を立てている。石原の場合は日蓮の予言という宗教が絡んできますが。逆に言うとマルクス主義も宗教みたいなものと言えるかもしれません。ちなみに石原莞爾の思想も当然、社会の進行に伴い若干の変化があります。一番大きいのはやはり敗戦後だと思いますが(とは言え上に引用したところを見ても分かるように全く考えを変えてるわけではない)、少なくともそれ以前の主張で変化してるところは枝葉末節なところなので、大筋私のまとめで追えてるんじゃないかと思います。本当はちゃんと出典を書いた方がいいんでしょうが、だいたい何を読んでもあまり変わらないのですぐ探せるでしょう。もし何か訂正すべき点があればご一報願います。

石原莞爾4 東亜・大東亜の範囲 - 王蟲の子供

*1:その後石原莞爾の「マインカンプ批判」の中でも「マルクス主義の流行した当時、日本のマルクス主義者は狂信的となり、『祖国ソヴエート』などゝ言ふものさへあつた。』とありました。