石原莞爾7~マイン・カンプ批判

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石原莞爾については手軽に手に入る著作に関してはどれも同じようなことを書いていますけども、「マイン・カンプ批判」は題材が特殊で他で言及されてないことも多いので個人的に気になるとこだけメモ。本の内容を纏めるのではなく飽くまで個人的に気になったとこだけなので悪しからず。石原莞爾の思想の概略は今迄書いた分で十分かと思っております。ちなみに旧字体新字体にしてまーす。

 

第二 民族観

(一)ナチスの民族観

「民族」は今日、人類の当面する最も重大な課題の一つである。(中略)我が国の第一の民族問題は朝鮮のそれである。

先にも断った通り気になったとこだけの抜書なので「第一」は飛ばして「第二」から行きます。この後も適当にサクサク飛ばします。さて、本書に於いて朝鮮の民族問題は多く採り上げられているわけではないけども、「重大」と書いてるぐらいですし、朝鮮について書かれてるところは多めに抜書きしようと思います。

民族問題を最も巧みに解決した国は、優勝の地位に上る一つの資格を獲得するわけである。あの鈍重なソヴェートが尨大な戦力を以てドイツに対抗してゐる一因はソ聯の民族政策が相当の成功を収めてゐるに在ると信ずる。(中略)ナチスの民族理念に於ては、血液を根底的なものとなし、極力その血を固定し、変化させないことを理想としてゐるのに対し、マルクス主義及び自由主義の民族理念は、殆ど故意に血の観念を民族から脱落せしめてゐるのである。(中略)最近、日本人は自主的にものを考へることがなく、何かと言ふと他人の真似-殊に強者の真似をしたがる傾向がある。ヒツラーの民族主義が日本人殊に自称日本主義者に強い影響を与へ、盛んに雑婚を排撃し、法律を以て禁止せよという声さへある。又一方満州方面の一部日本人は、民族協和は雑婚よりなどと唱へてゐる。(中略)自由主義は財力や武力によって世界を支配し、マルクス主義は万国の労働者を結合して資本主義を打倒せんがために、何れも故意に血の観念を民族から脱落せしめた。ヒツトラーが奮起した時にはドイツはマルクス主義支配下にあり、ヴェルサイユ条約を屈辱と感じないやうな状況であつた。

ナチスの民族観となってますが、自由主義マルクス主義の民族観と比較しております。そして当時の日本人も両者に影響されてるやつが多いと。では自由主義マルクス主義ナチスの民族観とは何なのかはナチスのハンス・ファブリチウスの「ナチス党綱領解説」、スターリンの「マルクス主義と民族問題」を引用している部分を孫引きしましょう。

自由主義は、民族を以て一定の国家の領域内に居住し、同一の言語と文化を有し、共同の歴史的追憶を有する人類の全体に他ならぬと教へた。国民社会主義はこれに反して民族概念の第一を、そして特徴的な標識を人種即ち共同的血液であると認める。」

(「新独逸国家体系」第一巻)

 

「民族とは言語・領土・経済生活及び文化の共通性として顕現されてゐる伝統的心理等の共通性によつて統一された、人間の歴史的に築かれた永続性ある共通性である。民族はあらゆる歴史的現象と同様に変化の法則によつて支配される。」

(「マルクス主義と民族問題」)

ナチスの民族観は石原莞爾も、科学的にゲルマン民族日本民族も相当に血が混じっていると反論しています。一方、確かに完全に人種のようなものを無視するのも不自然でしょう。しかし後述しますが、石原莞爾は世界一民族を志向しております。

 

(二)日本の民族問題

八紘一宇の民族観は、血は固より民族の主体たることを疑はないが、これと同時に民族は不断に発展し来つた事実を認め、更に民族観の歴史的進展さへも期待する。これが真に王道的理念であると信ずる。換言すればあるがまゝに民族の真の姿を認めようと言ふのである。血の重要性に就いては我々はヒツトラーの意見を尊重するが、同時に民族の発展と言ふ点では、マルクス主義自由主義の主張を是認する。(中略)闘争が盛んであれば必然的に民族意識は昂揚し、平和によって民族意識は沈潜する。今や未曾有の闘争時代である。(中略)従つて今日は民族意識も亦最も旺盛な時代であり、かゝる時代に政治的方便で民族意識を滅却しようとするのは無理である。

 石原莞爾としてはナチスの民族観と自由主義マルクス主義の民族観の誤りを指摘し止揚してるつもりなのかもしれませんが、個人的には「で?」という気持ちがします。石原莞爾の時代と現代で民族問題の切実さが違うからでしょうか。「未曾有の闘争時代」で「民族意識も亦最も旺盛な時代」の空気感は頭では理解できても実感は出来ない。この差は想像以上に大きいのかもしれません。人間の考えることは古今東西それほど変わらないような気もするんですが、時代状況は無視してはいけない。というかそうでないと理解できないですよね。

 

日本民族の使命達成のためとあらば、一億国民喜んで皆身命を捧げる。日本民族に対する我々のこの美しき熱情と八紘一宇の大理想を実現しなければならぬといふ強い意思と、この二つは毫も矛盾なく調和するのであり、絶対に作為がない、方便がない、坦々たる天地自然の歩みを行ふだけである。

石原莞爾は田中智学に傾倒し国柱会の会員でしたので、宗教性が特に強い。日蓮宗は日本の宗教の中では特に拡張的で創価学会が今でも世界中にその輪を拡げようとしていることも同じDNAな気がしますね。疑似一神教とも言われる皇国史観日蓮宗のコラボは中々強烈です。石原莞爾自身は軍部でも異端児であったし、国柱会やその思想がどの程度影響力があったかは分かりませんが、今後も戦前の思想史は追っていこうと思っています。いずれにしても戦前の右派にしてもこのような「世界は一つ」的なのや石原莞爾のいうところの「自称日本主義者」など、色々違いはあったということで。ちなみに国柱会は今も存続しております。

dot.asahi.com

 如何にもAERAらしく伝統的右翼としての国柱会に現在の右翼を批判させてますけど、実際伝統的右翼と今の保守は大分違うと思いますね。確かに思想性が薄い人が多いというか。でも思想性が強い人も、AERAは自分に都合が悪ければそれはそれでカルトだとか批判するだろうけど。ちなみに国柱会日本会議の関係についてこの記事に書いてるのとWikipediaのどっちが正しいんでしょう。どっちでもいいけど。

日本会議には属しておらず、国柱会としての日本会議の活動への動員は行っていないという。署名集めなどの協力要請があれば、ものによっては協力する程度だという。

伝統的右翼がネトウヨを叱る? 宮沢賢治も信じた国柱会は今 (2/4) 〈AERA〉|AERA dot. (アエラドット)

 

青木理によれば、日本会議との関係についてのAERA編集部による取材・アンケートにおいて、日本会議関連団体である「美しい日本の憲法をつくる国民の会」代表委員に教団幹部が就任している、としている[1]。

上杉聡によれば、過去に実施された保守系政治団体日本会議のイベントの受付において、国柱会を含む各種宗教団体別の受付窓口が設けられ、参加者を組織動員したことがある[2]。

国柱会 - Wikipedia

閑話休題。続きます。

私は昭和十五年十月十七日、京都で「新体制と東亜聯盟」と題する講演を行つたが、この中で「遠き将来を空想すれば全民族も渾成せられ、全人類が天皇を中心と仰ぎ、一国家一民族となるのを理想とすべきである」(「東亜聯盟」昭和十六年十月号所載)と述べた。これに対し、一部の日本主義者から激しい反対が加へられた。然し、私は断然、私の説の正しいことを信じてゐる。八紘一宇の究極の理想は世界一民族でなければならぬ。固より全人類の血が完全に融合しなければならぬといふのではない。上述した如く、血の区別はあっても、文化の完全な統一によつて生活感情が一つになり、民族の対立意識が失はれ、そのまゝ一つの民族となり得るのである。

 

うーむ、やはりかなり恐ろしいです。石原莞爾以外も戦前の右翼は天皇を戴いている点以外は左翼とほとんど変わらないと感じるのも多くいます。先日NHKで新しい資料が出たと特集してた二・二六事件の理論的指導者とされる北一輝などはその天皇に対する考えすら怪しいようですがそれはまたの機会に。

「二・二六事件」海軍極秘文書発見 収束までの4日間詳細に記録 | NHKニュース

 

 (三)ナチス民族観の批判

我々は誤れる思想信仰に対しては徹底的に闘ふ。然し自ら人種平等を唱へながらユダヤ民族を排斥するのは誤りである。(中略)到る処で虐待され、ひねくれ、悪いこともやって来たユダヤ民族を完全に改心させて、その所を得しめるのが、天皇の大きな御仕事の一であると拝察する次第である。

 ユダヤ民族を「ひねくれ」と表現してしまうとは中々強烈ですねー。戦前には日本でもユダヤ研究はかなりされてたようなのでいずれそういうのも読んでみたい。

次はヒツトラーの所謂「指導民族」の考へである。(中略)我々日本人は「自分達こそ天子様の近衛兵である。世界最優秀の民族にならねばならぬ」との確信を持ち、最大の努力をせねばならぬが、自ら公々然と自分を指導民族であると表明するのは、民族国家対立時代ならばまだよろしいが、国内に異民族を抱擁するに至らば、大なる危機を伴ふ。(中略)朝鮮民族は明治四十三年八月以来、既に立派な皇民である。一時叫ばれた朝鮮の「皇民化運動」は明治天皇の思召に対し奉り誠に不敬と言はねばならぬ。(中略)またナチスの民族理論を鵜呑みにすれば、朝鮮の同化政策は非常な間違ひだといふことになる。(中略)ヒツトラーによれば、朝鮮民族にはなるべく日本語を教へないやうにと言ふことになる。ヒツトラーとしては已むを得ない考へであらうが、我々は違ふ。しかし所謂「同化政策」には深甚な反省を必要とする。民族意識を政治的力を以て抹殺しようとしても不可能である。日鮮両民族が自然の大きな文化現象によって一民族になることは固より希望する所であるが、かゝることに就いての論議は十分に慎重でなければならない。

 最終的に一民族になるまで先頭を切るが反感を買わないように偉そうにしないようにしようってことですか?前も書いたけどやはり傲慢な感じはしますわね。

 

 第三 綱領の研究

(一)ユダヤ排撃

ユダヤ人はドイツではひどくきらはれてゐる。如何となれば、ドイツ人は極く素朴な愚直とも云へる勤労的国民性を有するに対し、ユダヤ人は利に敏く商売人としてうんと儲けるからである。特にインフレの時はひどかった。インフレで一番困るのは俸給取りや恩給生活者で、商人はむしろ巨利を博する機会に恵まれる。ドイツ人は大体月給取の生活をやつてゐるものが多いから、自分達の生活が苦しくなればなるほど、ユダヤ人が憎くてしようがない近頃東亜にも似た姿があらはれて来た。中国に行つてゐる日本人連中がどし/\家族を日本に帰してゐる。今迄高い月給を貰つて得意になつてゐたのが、最近のインフレで動きがとれなくなつたのである。中国人は大抵何かの商売をしてゐるのでインフレには困らず、却つて昨日迄よれ/\の着物を着てゐたものが今日はりゆうとした服装をするやうになり、逆に千円の月給の日本人がだんだん見すぼらしくなつて来た。かうなると、「何だ、支那人はつけあがつてゐる」と憤慨する。これが定石だ。私は、かうして中国に必要のない日本人が帰るのは、事変解決のために大いに結構だと思つてゐる。

 そうだったんですねー。ほんとだ、帰れ帰れ!

 

(三)経済政策

ソ聯革命の指導者は、労働者を煽動し殊に農民に土地を開放して、その圧倒的支持を受けた。ロシヤの地主は日本の地主とは丸で桁が違ふ。(中略)その後あらゆる困難が相次いで起ると、レーニンスターリンもこれを巧に外患に転嫁して、国内の結束を強化したのである。(中略)この大建設の蔭に国民の生活はツアー時代より遙かに悪い状況に追ひやられたのであるが、(中略)とにかくスターリンを指導者と仰ぐやうにさせたのである。この成功は何と言つても、国防国家を目標にした驚異的建設の魅力によるものと信ずる。

今日は人類にあつてこの方、未曾有の大戦争が行はれてゐる。南方の選曲は苛烈になつて来たが、日本はまだ片手で戦つてゐるやうなものだ。これに反し、独ソは全身をぶつけて戦つてゐる。実に人類史上に未だなかつた大格闘である。独ソ戦争は端的に云へば、四年計画と五カ年計画の戦争である。

 確かに死者数を見ると独ソ戦はヤバすぎますしね。ちなみに本書は昭和十九年一月の講演録です。

スターリンは一国社会主義建設と称してカムフラージュしてゐるが、自らは国力の飛躍的増強を計りながら民主主義国家と全体主義国家を喧嘩させ、へと/\になつた時に一挙に世界赤化の決勝戦をやる積りであつたに違ひない。私は地獄でスターリンに聞いて見ようと思つてゐる。

 今でこそ様々な共産主義者の暗躍が暴かれこのような見方もありますけども、当時そのように見ていたのは慧眼と言えるんでしょうかね。

 

(四) 我等の建設方策

 ここでは八紘一宇実現後の社会や、それまでにどのように「建設」して行くか、例えば義務教育をどういう制度にするとか細々と書かれております。

かくの如き国土の変貌に伴ひ、個人の生活も根本的に革新され、人類を生物学的に滅亡させんとする享楽生活は清算されて、真に質実にして剛健、而もこの中に優雅たゞよふ、東洋人的人生観に即した新しき生活が創造されるに至る。(中略)衣服は、もつと本当の意味での新しい型が生まれなければならぬ。(中略)私は婦人の模様物を全部禁じたらよいと主張してゐる。(中略)中国のやうに、子供から老人まで男も女も青一色と言ふのも、すつきりしていゝものである。(中略)国民が上下の別なく、玄米飯に(?)をかけ菜ッ葉汁で家族一同が「旨いなあ」と言つて感謝しながら食事をするやうになれば、昭和維新の卒業期に達したのである。住宅については、家族の数に応じて標準家屋を徹底し、それ以上の家屋には思ひ切つた重税を課すべきだ。(中略)この新生活に伴ひ、世に充満してゐるあらゆる虚偽は自然に払拭され、誠心が恢復するのである。昭和維新の結果は此の如き総合的革新が行はれ、所謂自由主義文明を完全に克服するのである。

なんかやっぱ共産主義っぽくないっすかね。同じ国柱会宮沢賢治の「雨ニモマケズ」のような生き方でしょうか。

 

この後ヒトラーが国内の共産主義者と如何に戦ってきたかなどなかなか面白いですが、まあ今回はヒトラーが主題ではありませんので割愛。しかし好きでやってることとは言え疲れたー。さっさとこういうのはみんな青空文庫に入れてほしいね。