一部中国人のマナーと国民性と愛国心

どうも最近タイムリーな話題について書くのが間に合わず申し訳ないんですが、先日こんな事件がありました。実は私中国人が結構好きなので、身贔屓しないように批判的なことを書きます(笑)。ラブ・アンド・ピース的な人には何も刺さらないと思いますが。

 

游客们,在外丢人时请别唱国歌,求你了!

 

要は日本の空港で何かトラブルが合って中国人団体旅行者が騒いで中国国歌を斉唱したということです。

 

まあ中国人のマナーの悪さは至る所で言われてますが、まあこういうマナーのなってない中国人を恥ずかしく感じる中国人が多いのも確かです。

 

私の中国人友達小六に言わせると「程度の低い人」と一言で片付いちゃうんですが、小六には悪いけど、僕はこうした程度の低い中国人もそこそこ程度の高い中国人も、結局同じ中国人の国民性を有してるなと思ってます。

 

恐らく「また中国人ね」っていう程度にしか感じなかった人も多いと思いますが、例外はもちろんあるとしても、何かをきっかけに「程度の高い中国人」も「程度の低い中国人」と化すことはよくあることでしょう。確かにマナーに関して若い人たちは年配の人と比べてそれほど悪くはない。こういう変化は日本だってあるし、マナーが良いと言われている日本人も今後そういうマナーが退化する可能性もあるでしょう。

 

そして何故中国人の起こす騒動の内これを取り上げたかというと「国歌斉唱」の件ですね。はっきり言えばこの人たちに愛国心というのがあるのかはよく分かりません。

 

いずれにしてもそれまで非常に親密な付き合いをしていた中国人がちょっとした日中間の問題により関係が壊れてしまうということはよくある。もちろんそれはどこの国の人でも、日本人同士でもよくある。しかし中国人は韓国人と比べ愛国心というかナショナリズムみたいなものが薄い印象があるけれども、例えば数年前にあった反日デモの時などに、個人的には何も関係ないのに関係が壊れてしまったということもある。

 

中国人は日本人と比べて個人主義と言われてますが、例えば中国人Aが、「日本人ふざけんなー!」と言ったら、中国人Bが「そうだそうだふざけんな日本鬼子!」、中国人Cが「倭寇を叩き出せ!」と言った一種の集団ヒステリーみたいなことは実際によくある。まあ日本人もそういうことがないとは言わないが、そういうどっちもどっち論は議論の停滞を生むだけで、そういう一般論をある程度認めた上で対策を講じるのが建設的でしょう。

 

イザベラ・バードによると、日清戦争当時、中国の町で日本人が見つかろうものなら間違いなく殺されていただろうが日本にいる清国人はゆうゆうと商売を続けてたらしいので(イザベラ・バードの本に関してはよく知られているけれど実際読んだことがある人はどの程度いるのでしょうか。そのうち自分なりに気になった部分をメモ書きしてここでも紹介しようと思ってますが)、まあ民族性ってそんなに変わらないんだなと。

 

いずれにしてもこういった民族性の違いによる摩擦などは中国に限らずどことでも起こりうる。好むと好まざるとに関わらず今後多くの国の人たちとの交流は増えていくのでしょうから、やはり彼らのことを国民性、民族性として見ていくのは「役に立つ」ことだと思います。こういった考えをレイシズムと批判する人は必ずいるでしょうが、それを言うと国民性、民族性などアイデンティティーの否定だに繋がると思うのだがいかがか。良いことはアイデンティティー、悪いことはレイシズム、というダブルスタンダードには与せません。まあ自分を知ることが一番難しいでしょうがね。