沖縄のそれぞれの島民性と沖縄ナショナリズム

「保守系市長の会」立ち上げ! 沖縄もいろいろさ~ - 王蟲の子供

さて前に予告した沖縄問題の続きですが、左翼の人たちが沖縄ナショナリズムのようなものを煽っていることは間違いないです。例えば何年か前に制定された「しまくとぅばの日」というのもその一環だと思います。

 

沖縄と言っても島それぞれ違いが大きいようで、それは最後の方に沖縄の方から聞いたことを引用しますが、やはり沖縄の教育などでも「やまとんちゅ」から迫害されたことが強調されて教え込まれるようですし。まあこの辺は何度も書いてるので興味があったら沖縄カテゴリーをクリックして読んでいただければ。

 

僕が東京生まれヒップホップ育ちだからかもしれませんが、東京人としてのアイデンティティーより圧倒的に日本人としてのアイデンティティーの方が大きいです。その地域のアイデンティティってどうなんでしょ。例えば大阪の人は異常に東京を敵視しますけど、東京の人が大阪のことを嫌うとしたらまさにそういうところが嫌なわけだよね。大阪の人は日本人というアイデンティティーと大阪人というアイデンティティーのバランスはどうなんだろう。

 

今一部の保守の人で沖縄を誹謗中傷する人がいますけど、仮に沖縄でそういう沖縄ナショナリズムを煽る人たちのせいで沖縄に所謂反日的な要素があるとしてもそのせいで沖縄を誹謗中傷するのはバカバカしいというか、沖縄ナショナリズムを煽ってきた人たちにまんまと乗せられてますよね。彼らはほくそ笑んでるんじゃないかな。

 

さて沖縄のそれぞれの島民性について県民のケーシーさんに聞いたことを引用します。長くなるので折りますね。

 

県民性を語れないのはもちろんなんですが、逆にそれぞれの島民生となりますと島の数だけあるような気がします。たとえば八重山地方というのは石垣市竹富町与那国町の3自治体になります。すこし離れた宮古島を加えて先島地方といいます。

石垣島は人口5万人弱の島で、移住者も多く、一説によれば純血な地元民は2割ぐらいではないかと言われています。豊富な水資源と豊かな土壌に恵まれ、農業、酪農、漁業とそれぞれが盛んで、食料自給率は100%以上を維持しています。

戦時中の疎開先は当時日本領であった台湾でした。戦時中にいくらかの空爆はあったものの陸上戦などはありませんでした。終戦後はGHQの駐留はなく米軍の係官が駐在し、「Bドル」という米軍紙幣を配給されていました。沖縄の住民は4回通貨が変わっています。日本円、Bドル、米国ドル、日本円と。
本土や沖縄本島のような「激しい戦後の混乱」というのはなかったようです。

かつて琉球王朝時代には「人頭税」というものを課せられ、島民の多くは苦しみました。薩摩の侵略を受けたものの、それで人頭税が廃止されたことから、薩摩を英雄視する一面があります。遺された遺跡や記念碑をみても、琉球王朝縁のものより薩摩藩に関わるものの方が多く見られます。

石垣島にはマラリアが蔓延していて、その隔離病棟的に扱われてきたことがあります。宮古島は本土の佐渡ヶ島のように罪人を送る島でしたので、そのなごりで今だに沖縄本島では差別的に見られることがあります。

説明するときりがないほど長くなりますが、こうした歴史的流れもあり、沖縄本島とは価値観が大きく異なります。竹富町に属する6つの島々も、互いにそれぞれ異なります。移住者を受入れない島もあれば、そこから船で5分の島では移住者大歓迎で誘致活動までしています。

島民生というのは歴史や土壌資源が異なる分だけそれぞれ違います。

ここで出てくる人頭税に関してですが検索するとだいたい薩摩藩に税を納めるためと書かれていますが、一方このようなことも

沖縄在住者です。沖縄の歴史に興味を持って頂き、嬉しく感じています。確かに沖縄には「被征服の歴史」の事実が強く印象されていますが、「沖縄自身が征服者であった歴史」も我々は認識しなければならないと思います。15世紀の三山時代から統一王朝が生まれた時期、中山国の山北国、山南国征服は決してきれい事では済まされない侵略の歴史です。是だけですと琉球本島内部での戦乱・統一に過ぎないと云われる方もいらっしゃるかもしれませんが、これ以降の各諸島侵略は、当に「惨い侵略」でした。各々独立国家として成立していた宮古八重山の島々を本島の琉球王朝は強引に武力侵略します。侵略後の島民の生活は「生かさず殺さず」の税搾取の日々。世界で最も惨い税の一つにも挙げられる人頭税はこの頃の島民税です。この人頭税の為に多くの島民が無くなった事実。表向き、「この税は薩摩への借金返済と税搾取に応ずる為の止む無き施策」と云われていますが、実態は違います。信じられない話ですが、琉球王国役人の生活は薩摩侵攻後の方が豊かになっています。王朝役人は「主に自らの保身の為」に島民への過酷な税搾取を続けていた訳です。だからと云って、島津侵略を肯定するつもりはありません。薩摩の侵攻は琉球王国にとって大きな負の遺産でした。しかし、その琉球王国自身も加害者である側面を我々は忘れてはならないのかもしれません。

沖縄がなぜ琉球王国から日本の県になったのかわかりますか? - 島津... - Yahoo!知恵袋

この件についてケーシーさんに再び聞いたところ

やはりこの薩摩侵攻に対する意見は、島々で異なります。
八重山諸島内でも琉球王朝の恩恵を受けていた島もあれば、苦しんでいた島もあるわけで、とりわけ苦しんでいた島々のほうが多かったんじゃないでしょうか。それぞれの正義は異なります。

今日のニュースでも、沖縄県議会は「安全保障関連法案」を廃案にするよう求める意見書を賛成多数で可決しましたが、石垣市議会は1ヶ月ほど前に賛成多数で同法案の早期成立を求める意見書を出しています。それぞれの島々は事情が異なります。

 

さて前回書いた「保守系市長の会」は宮古島市の下地敏彦市長が立ち上げたようですがケーシーさんはこういう時の宮古島の人の決断力と実行力は段違いだと言っていました。

 

さてここからはハムさんから聞いた話になります。ハムさんは両親が宮古島の出身でご自身は那覇生まれのヒップホップ育ちです。ハムさんによると昔から沖縄では宮古島を野蛮だと嫌う人が多いと。宮古島八重山は流刑の島だそうです。八重山首里の侍が流されたところで今もプライドが高く人間的に冷たい人の島と言われるそうです。(cf.八重山ヒジュルー)宮古島は犯罪者の島だと。八重山と逆でおもてなしが凄いと。とにかく酒を飲む島だと。(cf.オトーリ宮古島の人の繋がりはすごいそうです。

 

さらに本島でも南部・中頭・山原と分かれるそうで。まあとにかく色々なわけで、「しまくとぅば」と言って一部の沖縄の言語を他の地域にも教育するのは他の地域の人には迷惑では。いつも同じ結論になりますがマスコミと教育が最大の癌ですね。多少批判されようが百田さんのように物議を醸すこと自体がマスコミの不審を煽ることになると思うのでガンガンやりたいとこです。