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保守の理念化の危険性 ~八紘一宇など~

歴史観

さて私のような歴史修正主義者は出来れば戦前の日本は悪くなかったと思いたいわけです。実際調べれば調べるほどそんなに悪いことはしてないと思います。もちろん多少の差別のようなものはあったようですがあの時代にしては可愛いものだし、南京大屠殺のような残虐なことをしたとは到底考えられない。重慶爆撃のように民間人の犠牲者が出た例は多くあるでしょうが戦争だからね。だいたい他国と比べてどうよって感じ。他国と比べても仕方ないから悪いことは悪いことと認めろという論理もあり得ますがあまりに公平でないことには納得出来ないのであります。

 

しかし一方何度か書いているように戦前を美化し過ぎな保守が増えてるのも実情。これが僕は本当に嫌なんだよね。まあある程度揺り戻しとして仕方ないのかなと思うけど、突っ込みどころを与えることにもなるからさああ。

 

超ざっくり言って開国で味わわされた屈辱を色々な努力でなんとか払拭し列強の一員となったことで誇大妄想的になっていった面があるんでしょう。岸田秀の言うところの内的自己が表に出てきたというのか。

 

そういう時当然思想というか理念が表にも出てくるわけですが、それが例えば昨今話題の八紘一宇とか。こういうのが最も先鋭的に現れてくるのはやはり大東亜戦争のころになると思いますが昭和の初めごろから段々強くなっていったようです。もちろんその芽はそれ以前からあったわけですが。

満州国 ~石原莞爾編~ - 王蟲の子供

 

この辺はあまり細かく見過ぎるとわけわからなくなりますが例えば尊王攘夷思想に水戸学の影響が大きかったとしてもそれ以前に水戸学が主流の思想だったわけではないことに近いかな?何か思想的支柱が必要なときに持ってきたものなんでしょう。

 

僕の理解としては日本という国家成立以前の原日本と外来のものとのバランスで成り立ってるのが日本という国だと思います。このバランスがなかなか絶妙なところだからこそこれだけ長い歴史を保てるんだろうなと思ってますが、外圧が強くなると妙な思想も首をもたげてくるようです。

 

明治維新の功績を否定するものではありませんがその時に出来た無理が今も日本を呪縛してる感じがしますね。

 

本居宣長はやまとごころとからごころについて色々述べてるようですが、からごころを必ずしも否定してるわけではないです。ちなみにやまとごころに関しては次の歌が有名ですね。

しきしまのやまと心を人とはば、朝日ににほふ山ざくらばな

 なんだかよく分かりませんね。原日本というのはもともとの神道がそうであるように教義のない、ぼんやりしたものなんでしょう。あまり無理に理論を体系化すると必ず破綻するので、これってすごく重要なことなのかも。我々保守もあまり理念とかスローガン的なものに心酔するのはやめましょうね。この辺は相対化して俯瞰しとけば十分ではないかと。