アイデンティティーと誇り

台湾人の王さんのお父さんは昭和三年生まれ。もうだいぶ前に亡くなってますが、お父さんは当時の思い出を何か言ってましたかと質問したところ具体的な話はなかったんだけど、「誇りに思っていた」とのこと。

この「誇り」という言葉ね。日本人が使うとまるで傲慢かのような印象を持つ人も多いのかもしれません。

例えばマヤの末裔が自分がマヤの末裔であることを誇りに思っていると言えば多分みな格好いいと思うんじゃないかな。

日本でも仮にアイヌ民族としての誇りとか琉球民族としての誇りとか許されるけど大和民族としての誇りなんていったらちょっと変な人と思われるかもしれません。

少数民族と多数派とでは違うところもあるだろうけど自分のアイデンティティーに誇りを持つのは決して危険なことではなく極めて自然な気持ちでしょう。

翻って日本語世代の台湾人の少なくとも一部には自分を日本人だと思ってる人もいるようだね。直接言わなくても洪さんはおじいさんは多分そう思ってると。

今日本人になりたいと思ってる若者とは全然違いますけど。いずれにしてもこういうのも問題有りと感じる人も多いんでしょう。

誇りとは何か、ダブルスタンダードにならずに考えてもいいかもね。