読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

他人に迷惑をかけても清水富美加は出家すべきか

宗教

清水富美加さんの引退(?)騒動について。多くの人が批判する中、伊集院光さんがそのことに違和感を感じると述べた件が話題になっているようで。

伊集院光、清水富美加を巡る騒動に「意見が一色なことに気持ち悪さを感じる」 (スポーツ報知) - Yahoo!ニュース

 

批判の大半は仕事を途中で放棄するのは人に迷惑をかけるということだと思います。例えば。

「これから救済していこう、人に幸せを与えていこうということを出家してやりたいわけでしょ? でもその前に、仕事を残したことによって不幸になる人がいっぱいいるわけじゃないですか。まずその人たちの事を考えて、そこをキレイにして行きなさい」

清水富美加騒動に竹山苦言「不幸になる人いっぱい」 (日刊スポーツ) - Yahoo!ニュース

 個人的にはまあ伊集院さんの意見(簡単にまとめられないので良かったら直接記事を御覧ください。まあまあ面白いし)に近いけどもちろん他人に迷惑をかけるのは良くないというのも理解できますね。ただこの竹山さんの苦言に関しては出家の志と矛盾するんじゃないかと上手いことを言ってるつもりな感じがちょっとね。と思って出家とについて書いてある徒然草の一節を、以下に原文と訳文と転載させてもらいますが、要するに「これが終ってから」「ちゃんと準備してから」とか言ってるといつまでも出来ないよと。

大事を思ひ立たん人は、去り難く、心にかからん事の本意を遂げずして、さながら捨つべきなり。「しばし。この事果てて」、「同じくは、かの事沙汰し置きて」、「しかしかの事、人の嘲りやあらん。行末(ゆくすえ)難なくしたためまうけて」、「年来(としごろ)もあればこそあれ、その事待たん、程あらじ。物騒がしからぬやうに」など思はんには、え去らぬ事のみいとど重なりて、事の尽くる限りもなく、思ひ立つ日もあるべからず。おほやう、人を見るに、少し心あるきはは、皆、このあらましにてぞ一期は過ぐめる。 近き火などに逃ぐる人は、「しばし」とや言ふ。身を助けんとすれば、恥をも顧みず、財をも捨てて遁れ(のがれ)去るぞかし。命は人を待つものかは。無常の来る事は、水火の攻むめるよりも速かに、遁れ難きものを、その時、老いたる親、いときなき子、君の恩、人の情、捨て難しとて捨てざらんや。

 

[現代語訳] 大事(出家など重要なこと)を思い立った人で、何かに囚われて離れがたかったり、心のどこかにひっかかることがあって本意を遂げられないでいるなら、その全てを捨てたほうが良い。 『もうしばらくしたら。この事が終わったら』、『同じように時間がかかるならば、あの事もきちんとし終わってから』、『しかし、これは人に笑われるだろう。笑われないように確実に準備してからでないと』、『いや待て。長年の経験の蓄積があるのだから、その結果を見届けてからにしよう、波風が立って騒がしくならないように』などと考えていると、やり終えていない事ばかりが山積みになり、それらをやり終えることはできず、大事にかかる本意(本当に重要でやるべき出家など)を遂げる日はいつまでもやってこない。 いつか出家して仏門に励もうとしている大抵の人は、みんなこのような物事に追われた状態で死(臨終)を迎えてしまう。隣の家が燃えているのに、『暫く待ってから逃げよう』なんて言うだろうか。生命が助かりたいならば恥も忘れて、財産も捨てて家事から逃げるはずだ。寿命は人の都合など待ってくれない。無常の変化が押し寄せるさまは、大火のように大水のように凄い速さであるから、その無常から逃げることなんて出来ないんだよ。死ぬ時には、捨てがたいはずの親や我が子、恩義や情愛すら、みんな捨てざるを得ないのだから。

『徒然草』の59段~61段の現代語訳

 

ほう。こう見るとちょっと伊集院さんの言ってるのも近いことが書いてありますね。

 

ちなみに清水富美加さんが入信してるという幸福の科学保守系の活動をしているということもあり、回し者と思われるかもしれませんがもちろん関係ありませんと一応書いておきます。単に博識なとこを披露したかっただけです。