既存団体と右翼左翼 ~生活者ネットワークと柔道整復師など~

練馬駅前で「アベ政治を許さない」の辻立ちをしてる人がいたので共産党かと思ったら生活者ネットワークだったようです。ある議員さんによると生活者ネットワークは共産党よりもたちが悪いと。共産党はまだ古くからの政党という矜持があるので最低限のルールは守るけど生活者ネットワークは何でもありのルール無視だそうで。

 

というわけで少し調べてみましたが何とまあ練馬が発祥なんですね。今11区に19人の議員があるそうですが練馬だけで3人だから。いわゆる生協の一つだそうで。生協って色々あるんだね。600ぐらいあるグループの中の一つ生活クラブ事業連合生活協同組合連合会 の代理人運動部門だそうで。しかし以下の法によると「特定の政党のために利用してはならない」そうだけどいいのかね。まあどうどうとやってるんだからいいんでしょうけど今度また議員さんに聞いてみようかな。

 

法制度[編集]

消費生活協同組合法に基づく組織については、

  • 法人税優遇あり(協同組合等指定)
  • 正当な理由なく加入を拒めない(第15条)
  • 組合員は出資義務を負う (第16条)、議決権は出資割合によらず平等である(第2条,17条)
  • 組合を特定の政党のために利用してはならない(第2条)

生活協同組合 - Wikipedia

 更にこの生協の特徴は以下のとおりだそうですが如何にもねー。他にも色々あるだろうけどこういう食の安全とかそういうのを謳ってるところって侵食がすごい。だいたい「戦争法案」反対だからね。食の安全と何が関係あるのか。何の親和性があるんでしょうかね。上手く人々の心の弱い部分に浸け込んでくるのでね。ヨガの教室なんかもオウムの事件の時に利用されてましたよね。そういうカルチャースクール的なとこや、自己啓発系のとこなんかは狙い目だよね。私も小さいながらライブのお客さんや生徒さんから少しずつ情報収集しつつ影響を与えようとしとります。

特徴[編集]

生活クラブ生協は、日本に約600ある生協のなかのひとつのグループで、他の生協と異なる次のような特徴[1][2]がある。

 

まあとにかくここは左翼団体と考えていいと思いますが共産党より若い政党とは言えもうそれなりの歴史があるわけですね。一方保守系の団体はいわゆる「行動する保守」(おそらく僕もその中に入るんだろうと思いますが)とかはだいたい数年の歴史しかない。元からある右翼団体日本青年社などやはり任侠系だしねえ。そういう昔ながらの右翼団体行動する保守とどちらが影響力があるんでしょうか。よく分かりませんが左翼も右翼もどうしても周りが同じような人なので一般の感覚が分からなくなりますがどちらも大した力はないんでしょう。あれだけ持ち上げられたSEALDsなんかも普通の人はなんか胡散臭いなと思ってる人が多そうですが、行動する保守も恐らくそう。ましてやSEALDsのようにマスコミが持ち上げてもくれませんしね。

 

すごく大雑把な感じですが行動する保守の影響力≒次世代の党の力ぐらいだと思うのでまあ要するに(今のままでは)あまり影響力はないんでしょう。やる気は満々だったりするけど。自民党の場合はやはり歴史があるので人によってそれぞれ様々な団体と関係があるわけですが聞いたことのあるところだと柔道整復師の団体とか。アフラちゃんによるとある議員さんは倫理法人会と仲良くしてるとか。倫理法人会とか怪しいなと思っちゃいますが、行動する保守よりもそういう既存の団体の方が影響力があるのかもね。こういうところが辺野古賛成とかしてるわけじゃないですけどね。

 

エッチくんは結局行動する保守的な方向よりも自民党が右寄りになる方が現実的な線だろうと言ってました。そういう意味では既存の団体をそういう方向に持っていくというのもありですね。希望日本とか維新系が多いけどそういうよく分からないところを右に引っ張っていくとか。とりあえず接骨院に通ってるので柔道整復師系にアプローチしてみようかな( ̄ー ̄)ニヤリ

 

ちなみに行動する保守というとやはり街宣とかデモとかのイメージが大きいと思いますが中にはもっと地味ながらもクレバーにやってる人もいます。いずれにしても何度も書いてるうように戦略を考えられる人がもっと増えることを期待したいです。

 

ちょっと行動する保守に対して悲観的なことを書きましたがまだまだ伸びしろはあると思います。要するに例えば昨日書いたようなイメージ戦略とかですね。もうほとんどイメージ戦略が全てと言っていいぐらいかな。こういうことを言うと納得する人も多いけど実践できてるかというとちょっとね。僕自身も甘いし、こういうのを指導できる立場になるには僕の保守業界に於ける信用というのはまだまだ小さいので。

 

昨日も書いたようにいくら正論を言ってもその人物が信用されてなければ無力なのです。