大アジア主義の失敗

石原莞爾のことを書いてた時に、確か岡倉天心が「アジアは一つ」とか言ってたよなと思いだして検索したらたどりつたサイト。アジア主義について書いてます。

 『広辞苑』の解説は、「明治維新以後の日本において、欧米列強のアジア侵略に対し、アジア諸国の連帯によって対抗しようとした思想及び運動。後には、アジアへの膨脹政策や大東亜共栄圏論と結びついた。」

 

 12月28日付『毎日』の書評ページに、中島岳志著『アジア主義―その先の近代へ』を橋爪大三郎が評している。教えられること多いから、引用させてもらう。

 

 ―玄洋社頭山満黒龍会内田良平。宮崎㴞天、北一輝大川周明南方熊楠岡倉天心、田中智学、石原莞爾・・・と連なるアジア主義。植民地化に反対する各国ナショナリズムを起点としつつも、その制約を超える国際主義の運動だ。民衆運動と手を結ぶリベラルな面と、日本帝国主義の先兵となる右翼的な面とを併せ持つ.その射程は政治・軍事・経済から文化・思想運動まで及ぶ。

 

玄洋社自由民権運動に起源を持ち、朝鮮の民主化運動を支援・・・アジア主義者たちは、中国の革命家を手助けし、インド独立の闘士を匿い、ロシア領内のイスラム教徒と連繋をはかる。ときに当局と対決し、ときに国策の手足となるなど・・・

 

自由主義社会主義マルクス主義ら左派は日本の固有性を素通りする。対するアジア主義は日本に、西洋に対抗するアジア精神の精髄をみる。岡倉天心の不二一元を、日蓮主義の田中智学は八紘一宇を、三木清は西田哲学の多一論を、鈴木大拙は東洋的一を説いた。

 

アジア主義が日本の帝国主義的拡張に奉仕することに・・・」

京都AALAのブログ: 「アジア主義」を考えてみる

 この辺は姐さんが詳しいので確認したところだいたい合ってるそうです。しかしここから最後の結論に行き着く論理性の欠如は興味があれば読んでくださいとだけ。

 日本の役割は憲法9条の不再戦の誓いを貫徹することである。日米軍事同盟から離脱することである。  

 須田稔さんという米文学者らしいんだけど、この記事読むと最初にこのアジア主義が日本の帝国主義拡張に奉仕したと言いながら東アジア共同体を形成すべきだという主張の間に単純に日本中心でなくぐらいのことしか言ってない。これ全く大アジア主義の失敗から学んでないよね。日本が中心だろうが中国が中心であろうが同じだと思うよ。いや日本のほうがマシだとは思うけど(笑)。

 まあ僕はこういう論説には歯が立たない。 

 そもそもこんなこと言うなら初めから引用すなと。この人は武者小路公秀とかと同じで反米を拗らせた人なんでしょうかね。反米にしても親米にしてもいわゆる自虐史観の人たちというのは次々に明らかになってくる歴史的な事実に対して、彼ら自身が言うようになぜ真摯に向き合おうとしないのか理解に苦しむね。

 

ここまで長い前置きです(笑)。そもそもこの大本のアジア主義というのは西欧列強に対して自らを守るために形成されたんだと思うけれど、アジアというのは謂わば非ヨーロッパというだけで別に価値観を共有する文明ではなかったということがまさに歴史から学ぶべきだと思うんだよね。しかしそれはそれで当時はしかたなかったとも言えると思います。日本は植民地になるかという瀬戸際でもあったわけで。そのアジア主義に共鳴した他のアジア人もいたのは当然だと思います。

 

もはや対西欧列強という軸が必要ない今アジア主義というのは何の必要もないと思います。アジア主義というのは謂わば共産主義に対する勝共連合みたいなもんで相手がなければ芯がない。今なら多分グローバリズムナショナリズムという構図かな。遠い将来的には資本主義対なにかみたいな構図も出来るかも。これについてはエッチ君に昔諭されました。そこまで否定しちゃうのは現実離れしてると。

 

アジア主義の失敗は違う文明を同じように扱おうとしたからだよね。もし日本が戦争に勝っていて満州国が存在してたら今どうなってたのか想像するのは面白いけど。例えば内鮮一体と言って朝鮮人を内地の人と同等に扱ったのに対して低く扱った台湾が今親日であるというのも非常に興味深いね。

参考

満州国 ~石原莞爾編~ - 王蟲の子供

満州国2 ~満州人脈編~ - 王蟲の子供