倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで⑤

倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで① - 王蟲の子供
倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで② - 王蟲の子供
倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで③ - 王蟲の子供
倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで④ - 王蟲の子供
倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで⑤ - 王蟲の子供
倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで⑥ - 王蟲の子供

倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで⑦ - 王蟲の子供 
倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで⑧ - 王蟲の子供
倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで⑨ - 王蟲の子供
倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで⑩ - 王蟲の子供
倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで⑪ - 王蟲の子供

 5回目でーす。毎度断りますが、倉山満さんの「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んでそれを一部要約して、それをについてあーだこーだ言う形です。本書の解説ではありませんので悪しからず。今回から第二章に入ります。

1917年、ロシア革命勃発。日本にとって実質的同盟国を共産主義者が乗っ取って敵となってしまった大事件だが、当初日本では警戒心なし。しかし翌年ニコライ二世一家が皆殺しにされ、やばい奴らだと吉野作造ら心ある日本の知識人は警戒し始める。が、主流ではなく、インテリは「左」の共産主義に靡き、それに反発する「右」が日本精神を絶叫するという、程度の低い争いが論壇の主流へ。

 

ロシア革命に対して英仏が干渉戦争を主導。日米は言われて訳も分からず出ていく格好。当時の日本の最高権力者である、原敬は媚米、拝米で、ウィルソンに言われるまま戦力の逐次投入。

シベリア出兵に関してはそもそも語られること自体が少ない上に、全く無意味だったとか否定的な面しかほぼ聞いたことがありません。倉山さんのチャンネルくららにもよく出演される宮脇淳子さんの「満洲国から見た近現代史の真実」によると唯一の功績は、シベリア出兵期間、援助合戦でシベリアに飢餓が生じなかったことだそうです。じゃあそれが他のマイナス面に見合ったかって話ですが。また同書によると、満洲建国時にハルビン白系ロシア人ユダヤ人がたくさんいたのは革命から逃げてきた人たちだとのこと。野球のスタルヒン、大相撲の大鵬の父、チョコレートのモロゾフなどはこのころ亡命した人だそうです。

 

ところでシベリア出兵について調べると、積極的出兵論と消極的出兵論があるとよく書かれてますが、それぞれにも色んな立場があるようで、なので書いてあるものによって誰がどういう立場なのか違ったりして非常に分かりづらいです。例えば山県有朋は積極的出兵論、消極的出兵論どちらに分類されるか、サイトによって違ったりします。多分山県有朋は消極的出兵だと思いますが、登場人物の立場が色々複雑なので考え違いされたのかも。いずれにしても、ヨーロッパから要請されて行ったのに、却って悪者扱いされることになるというね。

 

先に進みます。

日本はヨーロッパの戦後秩序を話し合うヴェルサイユ会議、アジア太平洋の秩序を話し合うワシントン会議に参加。ワシントン会議直前、原敬は暗殺されるが後継の人たちも原敬流の親米は揺るがず。明治以来、南下するロシアを最大の敵としている以上、親英米霞が関の伝統外交。だがこのころから老大国イギリスよりも新興大国のアメリカとの基調を軸にしようという「米英」派が主流に。しかしアメリカは誇大妄想の国でハーディング大統領は日英同盟を放っておいたら挟み撃ちになるのではと妄想し、大戦での借金のカタに日英同盟を破棄するようイギリスに圧力をかける。イギリスは日英同盟を切りたくないので、断ってよねというニュアンスで「アメリカも入れて三国同盟とかどう?」と持ちかけるが幣原喜重郎駐米大使が気づかず、日英同盟を解消し、何の昨日も果たさない四ヶ国条約に調印。以降親英派が発言権を失う。日英同盟破棄はアメリカがさせたのに世論は反英に。この時点でアメリカは妄想的に日本を恐怖してる。イギリスにとってアメリカは覇権を取って代わろうとする敵。三角関係でいがみ合ってる。喜ぶのはソ連だけ。日本ではイギリスの悪口は言うくせにソ連の悪口は全く言わない論者が幅を利かせる。「保守」「愛国」「日本精神」を絶叫するのに何故かソ連の悪口は言わない。

 

海軍軍縮条約アメリカは「日本がうちの7割持ってたら負けるから6割に」日本は「6割だと負けるから7割に」と言ってる。どちらも対等だと日本が勝つという前提。日本は勝てるはずのない強大なアメリカに愚かにも挑んで負けたのではない。この時点で日本は滅びようがない大国。なのに滅んだ。理由は頭が悪くなったから。

日英同盟を解消し、四ヶ国条約に調印したことはよく批判されることで、それは妥当だでしょう。アメリカの反日的行動の一つとして語られることが多いと思うのですが、筆者はそれに加えて、日本が頭が悪くなったからだという主張です。だとするとなんでアホになったのかを知りたいです。

 

英国の「断ってよねというニュアンス」についてももっと知りたいし、ソ連の悪口を言わない愛国者についても知りたい。ソ連の悪口を言わない愛国者というとソ連のスパイかと想像力を働かせてしまいますが、著者の主張からすればこの時点ではソ連にそんなないはず。

 1922年の九カ国条約は、八カ国が中華民国主権国家になる機会を与えようという条約。当時の中華民国には北京政府と広東政府があり割れているばかりでなく省ごとに軍閥がいてバラバラで、そんな国と条約を結ぼうとは正気の沙汰ではないがアメリカが強硬に主張したので他の国も同意した。日本は喜んでアメリカに追従。満洲事変の遠因。

まさに当時の中国には他国と条約を結べる状態ではなかったと思います。話が戻りますが前回のエントリーで書いた21箇条要求についてですが、宮脇淳子さんの本によれば日本に亡命してた孫文と日本の民間人が結んだ中日盟約が21箇条要求の希望条項に似てるとのこと。当時のトップである袁世凱は預かり知らぬ盟約が、場合によっては国同士の条約になる可能性もあったということが正に当時の中華民国の条約遵守能力のなさの一端を表してますね。中日盟約(日中盟約)に関しては日本語のものはネットではあまり調べられませんでしたが、中国語のを一応リンク張っておきます。

中日盟約 - 维基文库,自由的图书馆

東亜同文書院大学記念センターの馬場毅さんによれば実物は早稲田の図書館にあると思うとのこと。彼の発言を一部引用します。

ただしその中でこの第5号については、大隈内閣ですら最終的に削除した内容です。私が今申 し上げた点はまさに第5号そのもので、日本政府ですら削除した内容です。ただしそういう部分だ けではなくて、中国にとっても有利な、日本側が中国側の関税自主権を回復することとか、領事裁判権の撤廃に賛成すること、これを認めるならば 日本側から援助するというのが日中盟約の内容です。

ちょっと話が21カ条要求についてに戻り過ぎてしまいましたね。多分シベリア出兵や第一次世界大戦について個人的に未消化なために今回のエントリーは内容がいつもに増してとっ散らかっちゃったと思います。

 

さてこのころの対米追従外交が満洲事変の遠因になったということはどういうことなのか、乞うご期待。

 

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倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで④

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はいはい、4回目でーす。毎回のお断りですが、この本を読んで、一部を要約してそれについての感想とか付随する話をしていく感じですのでよろしくー。

辛亥革命以降、「軍閥混戦」状態で大混乱。チベットはイギリス勢力圏、ウイグルはイギリスとロシアの角逐の場、モンゴルはロシア勢力圏、満洲はロシアと日本の勢力圏。中央政府不在。この状態に対し、満鉄以外の権益以外は干渉せず英米露と協調していこうってのが外務省、関東軍は現地にいて無法状態を何とかしたいので軍事介入したがるが、満州事変までは主流ではない。中華民国が出来て本来は旧清朝の領土を継承することを外国から承認されて国家承認となるが、中華民国は事実上無法状態で条約遵守能力がないので、日露英列強は自分の勢力圏は自分で守ろうということになる。ところがアメリカのウッドロー・ウィルソン大統領は他の列強を無視して自分だけさっさと中華民国を承認して引っ掻き回す。

 中華民国が実質軍閥混戦」状態であったことはこの辺の歴史に多少なりとも興味がある人なら常識でしょう。ウッドロー・ウィルソンが列強を無視してさっさと中華民国を承認したというのは知りませんでした。ちなみに第一次世界大戦の講和会議である、パリ講和会議Wikipediaに下記のような記述があります。

中華民国を「姉妹共和国」としていち早く承認したウィルソンは、外交団や米国人宣教師の影響で中国に強い関心を持っていたが、日本にはほとんど興味や知識を持っていなかった[120]。 

パリ講和会議 - Wikipedia

 この他にもウィルソンの反日的姿勢を書いてあるのですが、だいたいそれに関してWikipediaの記述の出典は中谷直司という人の本のようです。どういう人なのかは情報がほとんどなくよく分かりません。いずれにしてもウィルソンが色々と引っ掻き回したことは確かでしょう。その他は関東軍は現地の無法状態をなんとかしたいので軍事介入したがるが、外務省は英米露の列強と協調的ということを押さえとけばいい感じでしょうか。

次行きまーす。

満洲のことを考えたらドイツがロシアに対して劣勢であるのは良くないが、日本は日英同盟に従ってドイツに宣戦布告。イギリスは当初「来てくれ」「やめてくれ」「やっぱり来てくれ」を繰り返すが結局、欧州には陸軍は派遣せず海軍だけ派遣したが、大きな戦果をあげている。当時の日本人は世界大戦と言わずに欧州大戦と言っている。実態としても世界大戦ではない。日本が世界大戦にさせなかったのだ。

第一次世界大戦における日本は青島と太平洋のドイツ領の南洋諸島攻略は知られてることでしょうか。欧州への艦隊派遣もそれなりに知られてはいるでしょうかね。いずれにしてもどのような意義があったかということはあまり語られることが少ない気がします。今回調べてみましたが、アメリカ西海岸の哨戒活動とかもやってるんすね。

第一次世界大戦下の日本 - Wikipedia

誰だかすっかり忘れましたが、保守論客の誰かが、第二次世界大戦に比して日本は第一次世界大戦で大したリスクを取らず(陸軍を派遣しなかったことかな?)に青島とかとっただけでむしろ卑怯だというようなことを言ってました。実際のところドイツはともかく他の国からはどう思われてたんでしょうね。上記の保守論客は第二次世界大戦の日本の大義を強調したいがための発言かもしれませんが。

では先に進みまーす。

対華二十一箇条要求はその言葉自体がプロパガンダで、14箇条の要求と7か条箇条の希望。14箇条は国際法を守れというだけ。残りの希望は確かに虫のいいことを言っているが、帝国主義の時代では当たり前。ただし汚点と言われるべき点がある。袁世凱に「これを最後通牒という形にしてもらえたら言い訳が立つからそうしてくれ」と言われ、加藤高明外相が最後通牒を突き付けたら、袁世凱が秘密にするとしていたはずの7箇条の希望の部分を「最後通牒でこんなこと言われた」と国際社会に公開、プロパガンダに利用された。

三宅久之氏が、対華二十一箇条要求を読んで、やはりこれは日本が悪かったとテレビで言ってたのを思い出しました。しかし実態は倉山さんの言ってる通りなんでしょうね。多くの人が思ってると想いますが、日本の情報戦は頼りないことこの上ない。分からないけど当時より劣化してそうで恐いっすね。

先に進みます。

ウッドロー・ウィルソンは二十一カ条要求に対して英仏露に四国干渉をしようと持ちかけるが拒否される。英仏露にとって日本は第一次世界大戦において同盟国だがアメリカは中立国に過ぎないから当然。1916年、事実上の軍事同盟である第四次日露協商を結ぶ外相石井菊次郎は「帝政ロシアを潰してはならない」と主張。アメリカは第四次日露協商に文句をつけ、機会均等、門戸開放を申し入れる。自分は中米に武力侵略、南米に経済進出し「ヨーロッパは入ってくるな」と市場を独占しようとしながらあまりにもダブルスタンダード。当然日本は無視。

日本は大戦初頭に青島と太平洋のドイツ領は制圧しているので、自分だけ離脱も可能だが、石井菊次郎は戦勝後のことを考え単独不講和を約束したロンドン宣言へ加入。これは日本外交史において過小評価すぎ。

中華民国はドイツが敗色濃厚になってから宣戦布告するが宣戦布告しただけで何もしてない、この中華民国の肩を持ってたのがウィルソン大統領。ウィルソン大統領に話を持っていくとどんな話もぶち壊されるので、欧州各国もアメリカと話したい時は誰と話せばいいんだ状態に。石井菊次郎はウィルソンと仲が悪かったが正式な国務長官ロバート・ランシングと話をつけたのが、石井・ランシング協定。日本はアメリカの言う中華民国の独立・機会均等・門戸開放の尊重に譲歩し、アメリカは日本の特殊権益を承認するというもの。ウィルソンは激怒、中華民国もそんな拘束は受けないと言い出す。

 この辺りは著者の独擅場というか。「ウッドロー・ウィルソン」と検索すると、今の人類の不幸の90%以上がウィルソンの責任とまでいう、著者の記事が結構上位にいくつか出てきて、他はWikipedia程度のこと以外はなかなか探せません。もともとあまり知らないので個人的な宿題ってとこです。ところでこの90%この人のせいとか、著者は特定の人を全否定するようなことがしばしばありますが、どうなんでしょうね。麻生太郎さんのことも「討伐されるべきである」とか大仰な言い方をしますけども。井上準之助についてはその政策について大いに批判しながら、高い評価を与えている部分もあるのに。井上準之助が蔵相だった時代に生きていたらやはり「井上準之助は討伐されるべきである」と言ったんだろうか。批判するのはもちろんいのだけど「その麻生が「老後2000万円問題」で失策をした。とにもかくにも、麻生を討て! その結果、安倍内閣がどうなるかなど、考えるな! 増税阻止、最初で最後のチャンスだ!」とまで言ってしまうと信者的な人しか付いてこなくなってなってしまうのではないかという気がします。当然他の保守論客に対しても舌鋒鋭いのですが、まあそういうことも色々考えた上での発言だと思っておきましょう

【人道主義者、平和主義者などと紹介されるウィルソン大統領。実は今の人類の不幸の最低9割がウィルソンのせいである。◆日本人はアメリカ大統領を勘違いしている②】 | BEST TiMESコラム

私は一度でも麻生太郎を絶賛した人間を信用しない/倉山満 | 日刊SPA!

 とりあえずここまでで序章及び第一章は終了です。第四章まであるこの本。このシリーズやっと④なので、このペースだと余裕で⑩超えそうですね。着いてきていただけますでしょうか。。。

 

倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで① - 王蟲の子供
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では3回目行きまーす。しつこいようですが、本書をちゃんと理解したい方はお買い求めくださいね。これも誤解のないように毎回断りますが、引用じゃなくて要約を提示してそれにあーだこーだ言う形になっておりますのでご注意ください。

ポーツマス条約と北京条約の間に桂ハリマン協定というのがある。これを日本が反故にしたから日米戦争になったという説があるが、ハリマンは今の日本で言えば孫正義レベルの成り上がり物で財界主流ではない。小村寿太郎はそれより財界主流派(モルガン)と付き合おうと話をつけてきた。

保守論壇の重鎮で、桂・ハリマン協定を断ったことが日米戦争に繋がったという説を唱える人を、故人だから情けで名を秘すと著者が書いてるのは渡部昇一さんでしょうね。主流派云々の話は初めて知りました。Wikipediaによると満州への輸出額が日本よりも遥かに多い英米資本は満州市場に関心を寄せており、日露戦争で日本を応援したのに却って以前よりも門戸が閉じてるじゃないかと両国から抗議が来たとありますがどうなんでしょうか。Wikipediaの注では下記のように書いてあります。

^ マクドナルドの手紙の内容は、以下のようなものであった。「愚見に依レハ現時日本政府ノ取ル政略ハ即チ、露国ト戦争ヲ為シタル際日本ニ同情ヲ寄セ軍費ヲ供給シタル国々ヲ全ク疎隔スル日本ノ自殺的政略ト評スルノ外ナシ」(『日本外交文書』39-1)[33]

『日本外交文書』からちょっと探せなかったのですが、下記のサイトに「満洲問題に関する協議会」の「明治三十九年五月二十二日閣議決定」として載ってます。駐日イギリス公使のクロード・マクドナルドさんが伊藤博文に宛てた書簡の内容を伊藤博文がこの会議で述べたもののようです。

満洲問題に関する協議会 - 日本の歴史年表

いずれにしても小村寿太郎がモルガンと話を着けてきたから問題ないんだとまで言い切っていいのかは個人的には保留ですね。

関東軍とは関東州を守る軍。関東州とはポーツマス条約で得た、遼東半島先端部と満鉄附属地をあわせた租借地ポーツマス条約の追加約款により鉄道1キロメートルにごとに15名を条件に守備兵を置くことが出来る。関東軍1万5千はこれを遵守した人数。満洲全体は日本の約2倍の面積。まずは鉄道付属地だけを守れればいいだろうというつもりだったが、張作霖のような暴力団軍閥)がいた。初めはその人達を育てて現地を治めさせようと思ったが平気で人を裏切る人たちだと分かった。それを承知で付き合う陸軍と、正式な外交ルートで何としようとする外務省の路線対立が深まる。

 鉄道付属地がどの程度の広さか調べましたがこちらのサイトによると初めは約182キロで、徐々に拡張し1930年には約371平方キロまで拡大し、隠岐の島ほどの面積。現在の日本の面積が377,900平方キロ、満洲満洲国)は1,550,000平方キロほどです。どう比べて2倍という計算なのかはよく分かりませんが、いずれにしても満洲全体に比する鉄道付属地は当然微々たる面積と言えるでしょう。

日露戦争は露仏同盟と日英同盟の睨み合いが日露の一騎打ちとなった。露仏同盟対日英同盟がそのまま戦争すれば世界大戦になりドイツはこれを狙っていたが、英仏協商が結ばれそうはならなかった。英米が日本を助けたが、日本が勝ちすぎたために、牽制してきたというのは確かだが、日米戦争の遠因になるほどではない。アメリカで移民排斥運動も起こるが、結果、高平・ルート協定でお互いを太平洋の大国と認めあうということに。日本は安全になり、ドイツは完全包囲網の真っ只中でバルカン半島で大揉め。英米があんまり圧力かけるので日露協商で権益を守ろうとしたと多くの人は言い、部分的にはその通りだが、英米にとって経済権益に過ぎない満洲と領土、宗教、民族の絡むバルカン半島とどっちが深刻かって話。

 先程の桂・ハリマン協定のところと同じで、反移民などの反日的動きはそんなに大したことないという論調ですかね。その代わりというか、ウッドロー・ウィルソン大統領についてはボロクソに言っています。ウッドロー・ウィルソン大統領というと、国際連盟の設立を提唱したのにアメリカは参加しなかったとか、日本の提出した人種差別撤廃提案を否決したり、民族自決の原則を提唱したために却って紛争を招いたとか、教科書に載ってそうな程度の知識しかないので後々書かれてることは「おー、そうなんだー」って感じでした。その前にウィルソンの2代前、日露戦争当時のセオドア・ルーズベルトに関して。

黒羽茂氏の「日米外交の継父太平洋戦争への抗争史展開」によると悪化する日米摩擦に対応するためセオドア・ルーズベルトが立てた構想は下記の通り。

1、桂・タフト協定を利用して日本のフィリピンへの攻撃を未然に防ぐ。

2、アメリカ艦隊の世界周航を口実に大艦隊による示威行動を展開する。

3、高平・ルート協定により日本のフィリピンへのの野望を放棄させる

 

軍事的合理性を重んじる力の信奉者のセオドア・ルーズベルトは日本の力を分かっており、戦ったら危ない相手と戦争する愚か者ではないし、日本もそれを理解し振る舞ったのでしばらくは日米関係は良好。

本書とはまた関係ありませんが、セオドア・ルーズベルトについては色々と反日的というか、日本を非常に警戒する政策や、私信などもあり、インディアン絶滅政策を支持したり、日本以外に関しても少なくとも今の価値観からは「それってどうなの?」的な面が多いにも関わらず、日露戦争以前の親日的言動のみをピックアップされるのを見る機会も多い気がします。そういう意味ではもっと悪い点を多く書いても良さそうなのに、著者がセオドア・ルーズベルトを日米関係に関しては現実的に評価してるのはとても興味深い視点だと思いました。なーんてことを書いてたらタイムリーにこんなニュースが。

米自然史博物館のルーズベルト像、撤去へ 差別的との判断で - WSJ

あとこれも本書からは離れるのですが、桂・タフト協定Wikipediaにおける記述で個人的に気になった部分を、ここは引用いたします。

この協定の中で、桂は、「大韓帝国政府が日露戦争の直接の原因である」と指摘し、「朝鮮半島における問題の広範囲な解決が日露戦争の論理的な結果であり、もし大韓帝国政府が単独で放置されるような事態になれば、再び同じように他国と条約を結んで日本を戦争に巻き込むだろう。従って日本は、大韓帝国政府が再度別の外国との戦争を日本に強制する条約を締結することを防がなければならない」と主張した。

桂・タフト協定 - Wikipedia

 やっぱりね、朝鮮問題がどれだけ厄介であったかということは語られることがあまりに少なすぎると思います。どういうことなんでしょうかね。歴史戦という意味ではこういう知識は多く知っておく必要があると思いますので、見つけたら今後もその都度、ご紹介したいと思ってます。しかしこれの出典はWikipediaには示されていません。桂・タフト覚書は外務省によると下記のように書かれています。

残念ながら日本側原本は消失しています。そのため、外交史料館で編纂している『日本外交文書』第38巻第1冊(明治38年)には、アメリカの外交文書から同覚書を引用しています。

下記のページに資料はございます。

外務省: 外交史料館 日本外交文書デジタルアーカイブ 第38巻第1冊(明治38年/1905年)

上記の部分はここでしょう。

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さあ、今日はこの辺にしといたろかー。

倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで① - 王蟲の子供
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さて第一章から行きます。繰り返しますが、枝葉末節なとこに焦点を当てて調べたりしていきますので、倉山さんの言いたいことをそのまま知りたい方はお買い求めください。まず清国建国のことから始まりますがばっさりカット。以下引用ではなく要約なのでご注意を。

日清戦争で決定的に落ちぶれた清。北京が首都だが満洲自体は父祖の地として、いざという時の逃げ場として漢民族流入を禁止していた。しかし1900年の北清事変のドサクサでロシアが居座る。皇帝から全権委任された漢民族李鴻章がロシアに東清鉄道の建設許可の密約を結ぶなどロシアの軍事基地として差し出す。李鴻章漢民族だったから満洲人父祖の地などどうでも良かったのかも。日本はロシアが満洲にいるのは認めるから朝鮮には来ないでくれと「満韓交換論」を提案するがロシアは相手にせず。 「39度線以南には来ないでくれ」と要求するがこれも無視。1904年日露戦争。自国領土が戦場なのに清も朝鮮も中立宣言。日本はロシアを満洲まで押し返す。

本書では触れられていませんが、東清鉄道の建設許可は三国干渉に対する対価ですので、触れておくべきでしょうね。 三国干渉の結果、日本の要求はある程度突っぱねられたものの、列強による分割が進んだことを考えると、賢い選択だったかは分かりませんが。日清ともにどうすべきだったか議論はあるでしょうが、いずれにしても三国さんはいい面の皮ですわね。李鴻章は海防強化を手動したものの、北洋艦隊の練度では日本に勝てないと判断し日清戦争に反対するなど、それなりにバランスの取れた人のようにも感じるけど、まあ詳しくは知らないのでとりあえずここまでで。ちなみに李鴻章に関しこれより前の日清修好条規Wikipediaに下記の記述があります。

李鴻章はこれに同意し、西洋諸国が中国より遠く隔たっているのに対し、日本は清国の隣邦であり、これを「籠絡」すれば清国を扶助することにもなるが、一方、「拒絶」すればかえって清国の仇敵となる怖れもあろうとの考えに立ち、日本との条約締結をしばしば清国政府に建言した[3]。ただし、実際のところ、大久保利通ら日本政府の首脳は日清両国が協力して西洋諸国にあたろうという考えは毛頭もっておらず、柳原自身も自身の見解を国交樹立までの一時の方便とみなしていた[3]。

日清修好条規 - Wikipedia

これが事実かどうか知識はありませんが、この「毛頭思っておらず」についてほんまかいなと思ったので、[3]の本を書いた人を調べました。井上清という「釣魚諸島(尖閣列島など)は中国領である」という論文を書いたり、文化大革命を支持するような人だということを付言しておきましょう。Wikipediaは折角こういう出典が書いてある場合がそれなりに多いのだから大いに利用しましょうね。こういうのが中国に尖閣領有の根拠として利用されるんだからマジふざけんなって感じですよね。

井上清 (歴史家) - Wikipedia

 

では次に行きます。

日露戦争満洲は実質清が支配が出来る土地ではなくなっていたので警察が存在せず、馬賊匪賊の暴れ回る無法地帯に。漢族も大量流入し混乱に拍車。当時は奉天吉林黒竜江を東三省と呼称。一般的に言えばこの三省の範囲が満洲だがついでのような扱いの熱河だが、満洲父祖族父祖の地であり、溥儀が熱河を欲しがったのはこれが理由。

清の定めた満漢間の通婚禁止令を無視して漢人も勝手に入植して軍閥を形成(張作霖の父、張有財など)。錦州までモンゴル人がいたので日本でこの地の権益問題を満蒙問題という。

父祖の地として漢民族流入を禁止していたが、無視して入ってたやつもいて、日露戦争後には大量に流入したということのようだけど、細かいとこが気になる私としては、だいたいでもどれぐらいなのか数字が欲しいなあ。まあそんな統計はないかな。

熱河作戦については後にまた出てくるけども、ほんと溥儀ってやつは。ラストエンペラーとして映画でも有名だけども、時代に翻弄された可哀想な人みたいな捉え方の人がもしかしたら多いんだろうか。ああいう映画を脚色はあるにしても概ね史実と捉える人って案外多いんだろうから。昔見たと思うんだけど内容はすっかり忘れました。エッチくんによると共産党まで美化してるそうですが、Amazonの下記のレビューとか見るとそうなんでしょうね。

でも、彼は中国共産党の中で救われて、人間として幸せな人生を送れたような気がする。

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ちなみに熱河作戦に関しては、それ以外に戦略的な意味もあったようではあります。昭和天皇は「万里の長城を超えて関内に進入することなき条件」の下で実行を認可したそうです。

 

次に行きます。

 日露戦争ポーツマス条約と北京条約で整理された。日本は「満洲は清の主権下であることをこのたびロシアに認めさせた。したがって、ロシアから譲渡された権益は、その移動については主権者たる清の承認が必要である」と考えた。満洲について北はロシアが権益を持ち、南は日本が権益を持ち、形式的には清が主権を持つ、としたのが北京条約。この条約時の秘密議事録に「満鉄平行線の禁止」があるが、その後張作霖、張学良が「満鉄包囲鉄道」を事業展開。蒋介石南京政府は三本つくれと言ってくる。

リットン報告書の時にも出てきますが、この「形式的には清国の主権」って今の時代には分かりづらいですよね。っていうか私も分からないし、当時の人なら分かるのかも知りませんが。アハ。いずれにしても、鉄道の利権というのが途轍もなく大きな利権であると認識されていたということは知っておく必要があるんでしょう。

 

今回はこの辺で。いやー、この調子だといつになったら終わるか分かりませんがまあのんびりやります。

 

倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで① - 王蟲の子供
倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで② - 王蟲の子供
倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで③ - 王蟲の子供
倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで④ - 王蟲の子供
倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで⑤ - 王蟲の子供
倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで⑥ - 王蟲の子供

倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで⑦ - 王蟲の子供 
倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで⑧ - 王蟲の子供
倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで⑨ - 王蟲の子供
倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで⑩ - 王蟲の子供
倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで⑪ - 王蟲の子供

倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで①

久しぶりの歴史関係。前から日本の近現代史において、満洲事変を語るのが一番難しいと思っているんですが、最近倉山満さんの「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読みました。それを元に、個人的な疑問点や調べたこと、感想などを書こうと思います。個人的に気になる部分を多く採り上げることになりますので、著者の重点を置きたい部分を無視するかもしれませんし、枝葉末節な著者としてはどうでもいいところへ話が行くことも多くなると思います。ですので本書をちゃんと理解したい方はお買い求めくださいね。長くなると思うので分割して書きますが、まず序章に関しては、それ以降第一~四章の趣旨みたいな感じの内容になってるので、今回はとりあえず、それを更に要約し、次回以降、色々細かく見ていこうと思います。

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無法地帯の満洲での張学良率いる軍閥による不祥事の続発を解決すべく、関東軍柳条湖事件を起こし満洲事変は始まった。世論はそれを支持。時代はデフレ。政治家はスキャンダル探しの足の引っ張り合い。日本人拉致にも外務省は日中友好を掲げて抗議もせず。

 

関東軍参謀本部は対立。石原莞爾の思想とか持ち出すとわけが分からなくなるが、石原もお役所仕事の枠内でしか動いていない。関東軍が行ったのは独走ではなく脱法行為の積み重ねで基本的に法律を守っている。関東軍の脱法パターンは、謎の爆破→自衛のために反撃→政府が不拡大方針を世界に発信→関東軍が軍事行動を停止→謎の爆破→自衛のための反撃、これの繰り返し。全体から見れば石原の暴走は、石原をクビにすれば済む話だが石原を処罰すれば責任の追求が陸軍全体や外務省にまで及ぶから放置した結果。

 

国際法の遵守は明治維新以来の日本の最大の武器で満洲事変の時の大日本帝国国際法的に正しいことしかしてないが、それなのに何故国際世論を説得できなかったのかが問題。

 

コミンテルンは陰謀をするが、コミンテルンが万能なわけではなく満洲事変ではコミンテルンの陰謀は成立しない。

 

明治政府は人口過多の問題を抱え1936年、「満洲開拓移民推進計画」を決議。

 

海外から見れば日露戦争でアジアの問題は一応決着でバルカン問題が主問題で満洲は無関心。日本はアジアで無敵状態。

 

昭和6年関東軍が錦州を爆破。国際世論最悪に。政府は関東軍を引き上げさせ国際世論が持ち直す。日本政府の軍部統制を見て、国際連盟満洲の匪賊討伐権を認めようということになる。幣原外相は情勢をひっくり返したわけだが、その報が届いた12月10日政変が始まり若槻内閣総辞職。東アジアで無敵だから国際連盟が何を言おうが関係なく、満洲事変は国内政治の失敗。

 

満州事変は国際連盟体制の崩壊、日本と世界にとっての悲劇。日本は大国だったが勝手に孤立。日本人の「問題を解決しなきゃいけない病の発露」。なぜ満州国のために世界を敵に回す必要があるのか。そこが満洲事変の本質。「五族協和」とか「王道楽土」とか世界を敵に回してまでやることか。「五族とはどの五族だ」、ユダヤ人の満州移住計画・河豚計画が提唱されたときには「六族になってしまうではないか」とかいう発想になる。

 では次回から勝手なこと書きまーす。

倉山満「学校では教えられない歴史講義 満州事変」を読んで① - 王蟲の子供
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靖国落書き事件についてのお詫びと靖国神社放火犯のその後

靖国神社落書き事件に関する中国での報道 - 王蟲の子供

 

先日書いた靖国神社落書き事件の中国での報道について続報があるのか疑うことを書いてしましたが、ありました。

在靖国神社公厕写“杀掉武汉人”的嫌疑人被捕,身份动机曝光

これは私の偏見でしたのでお詫びいたします。ゴメンなチャイナ。

 

それはそれとして。中国での靖国の報道を調べたらこんなのを見つけました。9年前に靖国に火を付けた中国人のその後の記事。

9年前,那个火烧日本靖国神社的中国男子,如今生活得怎样了?

 

実はこの犯人のその後については6年前にレコチャで記事になってました。

靖国神社・日本大使館放火の中国人、帰国後の生活困窮に嘆き節「両親と疎遠、半年収入ない」(1/4)―中国 (2014年7月7日) - エキサイトニュース

こもレコチャの記事にもツッコみたいとこはあるものの、気になったのは中国語記事の方の、犯人の今。

刘强因为这件事情被日本警方逮捕,并且还被判了十年有期徒刑,最终交给了中国处理,其实这样的结果还是很好的。现如今的刘强创建了声援琉球独立运动的协会,原来的事情也随着时间慢慢消失了,现在过生平淡的生活,其实像刘强一样不满日本人行为的国人不在少数,同时我们也希望日本能够敢于承认自己的错误,为自己的错误买单。

つまり中国で今は沖縄独立運動に関わってると。Wikipediaやレコチャに書いてるように先祖が韓国人だとか色々複雑ではあるものの、ただ日本憎しにしては活動家面が強くなりすぎですよね。それだけ彼の恨みの熱量がすごいのか、靖国放火で箔ついて名を上げたから声かかるのか知らんけど。沖縄独立運動に中国が関わっているのはそれなりに知られているだろうし、名前を知られている人もいるけど、日本語で検索する限り、この人は出て来ないので一応日本語としては新情報かな?

高橋浩祐って何様?

横田さん家族の記者会見にジャーナリストたちはどう応えるのか - 王蟲の子供

先日のエントリーの続きですけども、そこで採り上げた高橋浩祐さんがまたこの件にコメントしてました。

 

国家が本来、真っ先に何よりもやらなければならない使命は国民の生命と財産を守ることのはず。

拉致問題では、横田めぐみさんを43年間も救出できず、残念ながら、日本は基本的な国家としての体をなしてこなかった。

なぜか?と考えると、やはり戦後の日本が安全保障や危機管理において、アメリカにおんぶに抱っこで、平和ボケしていた面があると思う。隣国には北朝鮮のような拉致を実行する犯罪国家が存在していたのに、情報収集面を含め、あまりに無防備だった。日本には今も主要国には必ずあるはずの大きな情報機関がない。

拉致被害者の家族は高齢化している。未帰国の政府認定拉致被害者家族の「親世代」で存命なのは、横田早紀江さん(84)と有本明弘さん(91)のお2人だけになった。

お2人の年齢を考えると、残された時間はあまりない。政府やメディア、国民は一丸となって拉致問題の一刻も早い解決を目指していかないといけない。

横田哲也さん 政権批判に怒り - Yahoo!ニュース

 言ってることはまともだと思うのだけど、前回のコメントで政権批判をしていたことに対するコメントが一切ない。この哲也さんの発言の記事にコメントする上でそれはどうなのでしょうか?前のコメントで5人を取り戻せたのは小泉首相の外交力と書いてたけども、そもそも拉致被害者社会党に話を持ち込んでも埒が明かなかったので安倍晋太郎のもとを訪ねて、それ以降安倍晋三がこの問題に取り組んできたこと、5人の帰国者の残留に関しても安倍晋三が関与してることなど、基本的なことを全く踏まえていない。つまりこの人はこの問題に関心がないんだと思う。

 

まあたまたまの経緯でこの人を採り上げましたが、多くのジャーナリストはこの程度のものであり、もっと酷い人もいくらでも探せるとは思います。