アート界隈に於ける保守の絶望と希望 ~芸術は反権力なのか?~

先日、あいちトリエンナーレについて色々書きましたが、アート関係はああいうのばっかりなのです(というかああいうの以外の人は表現を自粛してますね)。

 

最近私が参加したイベントではひめゆりの塔を題材にした朗読劇があったのですが、苦痛で仕方がありませんでした。あれの何が面白いのか、何がアートなのかすら私は分からないんですが、ああいうのでもすごく良かったと言って帰って行く客を見ると何とも言葉がありません。今度はナチスと日本人の演劇とコラボします。

 

私の専門である音楽の方は、演劇や前衛芸術の方と比べるとかなりマシなのですが、飽くまでマシという程度です。例えば皆様にも一番わかりやすいのはフォーク系の人たちですね。先日見たのでも、MCで「最近中国や韓国と色々ありますけど、僕はやっぱり最終的にはアメリカが敵なんだと言われながら育った」とか言ってる人がいました。楽器の人より歌の人の方がそういうのが多いのは演劇も歌も言葉を使って表現するという共通項のためなんでしょうかね。特にフォークの人に多いのはベトナム戦争の時代の反戦歌の流れを組むというのもあるんでしょうけど。

 

西洋の「芸術」が入ってくる以前に日本の文化界にこれほど反権力的?思想はあったんでしょうか。よく知りませんけど、多分多くの日本人にとってはどうでもいい思想性と芸術の関係が輸入された結果、訳わからないことになってる気がします。日本近代の歪みの一つではないかなー。

 

まあただ仕事としてこなす分には、あまり考えないようにすればいいんですが、当然たまには「日本軍がこんな酷いことをした」みたいな話になることもあり、こんな空気の場になった時に「ワタクシ異論があります!」とか言えないワタクシはひたすら存在感を消しじっとしているか、せいぜい話を逸らすぐらい。

 

しかしこ~んな河原乞食のマニアックな世界以外では、変化も大きいことは皆さん実感する機会があるでしょう。リアルでも、最近知った日韓間の歴史問題について、知ったかぶりぐらいの軽さで言う人も増えてきてる気がします。単にその手の情報が増えたというのは大きいでしょうが、20年前にそんな内容のこと言ってたら、街宣右翼と同じように見なされ、お近づきにならない方がいい人と思われてたのではないでしょうか。

 

そんな状況が今では酒の席で

Aさん「もしかして君右翼?」

僕「うーん、まあそうっすねー(笑)」

一同「あはははは」

なんて冗談で交わせる状況って当時を知ってるものとしてはすごい変化ですよ。振り返ると当時、変人と思われ、社会的に何の得もない中で頑張ってきたパイセン方はやはりパイオニアとして尊敬に値すると思います。

 

私としてはやはり音楽界で戦って行きたいのですが、仕事に支障をきたしては戦うことも出来なくなってしまうので難しい。なんとか考えたいものです。