東條英機は何故支那よりの撤兵拒否に拘ったのか

開戦前の日米交渉について、いつか纏めてみたいとは思っているのですが、比較的有名なところで、いまいち理解出来ていないことがありました。日米交渉に於いて支那よりの撤兵を頑として拒否していたことです。なぜそこまで?と思っていたのですが、今読んでいる本でその点について少し明確になった気がしたのでメモとして書きます。

 

f:id:soloflight:20190815045012j:plain

f:id:soloflight:20190815044651j:plain

これは「東条英機「わが無念」―獄中手記・日米開戦の真実」に書かれてることです。ちょっとタイプするのが面倒なので写真で失礼。いずれにしても内容としては支那事変は排日侮日居留民への迫害が原因であって、その原因が除去されない以上、撤兵しても同じことが繰り返され根本的解決とはならないということでしょう。

 

今までは、軍国主義者(?)がこれまでに散華した英霊に申し訳ないみたいな主張をしたという感情論しかほとんど見たことがなかったので、それよりは合理的な主張を見ることが出来ました。改めてWikipediaを見るとこのようなことも書かれていました。

東條率いる陸軍はかねてから中国からの撤兵という要求を頑としてはねつけており陸相時の東條は「撤兵問題は心臓だ。米国の主張にそのまま服したら支那事変の成果を壊滅するものだ。満州国をも危うくする。さらに朝鮮統治も危うくなる。支那事変は数十万人の戦死者、これに数倍する遺家族、数十万の負傷者、数百万の軍隊と一億国民が戦場や内地で苦しんでいる」「駐兵は心臓である。(略)譲歩、譲歩、譲歩を加え、そのうえにこの基本をなす心臓まで譲る必要がありますか。これまで譲り、それが外交とは何か、降伏です」「支那に対して無賠償、非併合を声明しているのだから、せめて駐兵くらいは当然のことだ」とまで述べていた。

東條英機 - Wikipedia

 しかしやはり上記の本の記述が一番すっきり分かりやすい気がしました。例えばWikipediaで引用したものは謂わばトリミングされてるのに対し、獄中日記に関しては自分なりに系統だって記述したものですし。いすれにしても東條英機が撤兵問題にそこまで拘っていたのが個人的にイマイチ分からなかったところに一番得心させられました。もちろんそれでも撤兵すべきだったという考えはありだと思いますが。

 

ライバル的に採り上げられることの多い石原莞爾には講演録などが多く残されているのに対し、東條英機の言葉として残っているのはこの獄中記や東京裁判での証言ぐらいしかなく、知名度の割にどういう人なのか分からないところが多いので(もちろん東條英機に関する本は多く、その中に東條英機の発言は多く書かれてはいますがやはりトリミングされたものだし、本当に言ったのか証拠もないものも多く、著者の東條英機への評価により偏りがある感が拭えない)、東條英機が自殺に失敗し、獄中記や裁判での証言が記録されたことは貴重な記録となったと思います。

 

知ってる人も多かったのかもしれないし、あまり大した内容ではなかったかもしれませんが、個人的にずっとモヤモヤしてた問題なので取り急ぎメモ代わりとして。

 

今日は終戦記念日でしたね。拙句を一つ。

何事もな曰ひそ終戦