枝野幸男の内閣不信任案演説と斎藤隆夫の反軍演説

ほとんどの人が何のためにやってるのか分からないであろう内閣不信任案の提出。枝野さんらの支持者が名演説と絶賛して、後世斎藤隆夫の反軍演説に比肩するものとして評価されるだろうとTwitterなどで書いてるのを見たので一言。

 

youtu.be

 

note.mu

 

評論するからには本来枝野さんの演説も全部聞くべきなんでしょうが、流石に三時間は勘弁してもらいます。続きまして斎藤隆夫の反軍演説の抜粋。

youtu.be

「粛軍演説」となってますが「反軍演説」の間違いだと思います。まあ私は枝野さんの演説が斎藤隆夫の反軍演説のような評価を後世受けるとは思いませんが、それは現在の政情を私がある程度知っているからであって、それを実感として感じることの出来ない後世の人が、枝野さんの演説の一部を切り取ったところをもって評価するということは一応あり得るのかもしれません。

 

さてこの斎藤隆夫の反軍演説ですが、恐らく枝野演説を絶賛してる方たちはもちろん、保守の人にも評価する人が多いかもしれません。しかもどちらの側も斉藤演説の真意を理解してるかというのは疑問です。この斉藤演説の一般的な評価に対して疑義を呈しているブログ記事がありましたのでリンクします。概ね私もこの方の見方と同意見です。

 

jseagull.blog69.fc2.com

 

確かに斎藤隆夫自由主義者で反ファシズム、軍部や当時の政治家に対しての鋭い批判を行っていますが、それはよく読めば全く枝野演説を絶賛してる人たちの認識とは違うものであることは明らかです。

 

彼によれば戦争は生存競争の結果であって正義でもなければ罪悪でもない。侵略を人道に反するというのも意味がわからない。人類はこの生存競争によって成長してきたのである。競争なくして人類の進歩はない。

国際競争には戦争が伴い、戦争には侵略が伴うが、侵略は決して邪悪にあらざるのみならず人類進歩の必要条件である。 侵略しなけれは人類は進歩せず、世界の文明も発達せない。 

(中略)

即ち実に国民精神を捉え、国民挙って中心より喜び勇み自ら進んで戦争の犠牲たらんことを希わしむるに当りては、 国家と国民とを有機的に結合し、国民をして心の底から理解せしむるに足るべき哲理上の根拠を示さねばならぬ。 腐儒の人道論や神がかりの天佑論などは戦時に当りては害あって益なし。 次から次にと現われ出づるスローガンの如きものも、之を屡々すれば却って国民軽侮の的となるべし。 勢いに阿る群小政治家、職業記者、自称愛国者乃至官僚の言説の如きは取るに足るべきものなく、是に於て学者の奮起を希うの情切なるものがある。 戦争は凡ゆる者を動員する。

「戦争の哲理」

 紹介したブログにも書いてあるように国民に苦労を強いるなら、聖戦とか世界平和とか美辞麗句を並べるのではなく実利をよこせってことでしょう。

 

ここで斎藤隆夫の思想についてどうこう言うつもりはありません。人間というのは如何に自分の都合の良いようにトリミングして自己の都合の良いように使うかを示したかったのです。

 

斎藤隆夫の演説自体についてはこのようなステレオタイプな見方以外に当時の政情を理解する上で考察すべき点はあると思うのですが、まずそのためにもこのようないい加減な理解は駆逐したい。更に人間というのは下手をしたら今回の枝野演説を後世評価してしまう人がいるかもしれないぐらいの存在だということです(斎藤隆夫枝野幸男を比べるのは斎藤に失礼とは思いますが)。通説に疑問を常に持ち続ける姿勢は物を考える者としては絶対に失ってはいけないところでしょう。