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神道と国家神道

保守の人は神道って素晴らしいと思うようになる人が多いと思いますが、ここで神道国家神道というのは分けて考えた方がいいと思います。この辺は多分学校でも習っていることで廃仏毀釈とかありましたよね。

 

簡単に言うと西欧列強に対抗する富国強兵の国策を推進するための思想的支柱として一神教を模して作られたものと言えると思います。明治維新について植民地にならないためそういうやり方をとったというのはやむを得なかったと思いますが、無理して作った面があることも忘れてはいけないと思います。

 

例えば最近やっと改憲論議が出て来たのは喜ばしいんだけど、その中で日本国憲法無効論なんてのがありますよね。押し付けられたものだから無効だと。だから改憲するなら大日本帝国憲法の手続きに則ってやるべきだとか。

 

まあ現実的とは言えないといのは別にしてその考え自体は別に構わないけど、じゃあ大日本帝国憲法がどうやって出来たのかというのも考えないとね。それ以前は当然そういう憲法はなかったわけで本来ならば憲法が最高法規ってなんですのん?ってことから考えてもいいわけよね。別にこれも江戸時代に戻れというわけではないけど日本という国を考えるならそれ以前の歴史も知っといたほうがいいですわね。

 

まあもちろん僕は今の憲法を変えたいと思っていますし、弁護士に左翼が多いのも憲法至上主義であるからだと思いますので、この問題は左翼右翼関係なく憲法ってなんなんってことを考えてみるのもいいんじゃないかね。

 

神道に戻りますが、みなさん学校で本地垂迹説というのを習ったことがあると思います。要するに仏が上で神が下という風に関係づけるやつね。それに対して神を上にするのが神本仏迹説。これの出て来た順番というのが僕は興味深いと思っていて本地垂迹説の方が先なんだよね。つまり仏教側の理論武装に対抗する形で神道側から神本仏迹説が出て来たと。

 

そもそも神道という物自体仏教という外来のものに出会うことによってそれまでの土着のアニミズム的な宗教が神道という名前を纏ったんだと思います。つまり仏教が入ってこなければ神道という名前もなかったでしょうね。

 

日本という国の成立とも共通してると思います。原日本とも言えるものが、白村江の戦いに負けて一つに纏まらなければならなくなって日本という国が出来たと考えられるのに似ている。

 

ただ国家神道の問題の大きいのは西欧的二元論のようなものになってることでこの辺は難しいからまたの機会にしますが、日蓮宗法華経至上主義のようなカルト臭があることだすな。そう言えば日蓮宗が勃興したのも元寇という国家的危機の時でしたね。今も外的脅威があるのでそういう風になるのも理由がないことではない。

 

僕も神道は素晴らしいと思うし現行憲法よりは大日本帝国憲法の方がましな気もしますが保守の人はもう少し戦前礼賛的な面は相対化して俯瞰して見れるようになったほうが理論武装という面でも強くなれると思います。

 

まあちょっと小難しい話ですけど、いつも言うように一般の人に受け入れられやすいようにするためにもあまり戦前を美化して前面に出すのは戦略的にも得策ではないと思うのであります。