学者の業 

久しぶりに小保方晴子さんのニュースがありましたが、なんというか最近学者というものについて考えさせられることが多いです。僕は文系なので理系のことはよく分からないんだけど、いずれは結果の出ることだからね、中村修二さんのように人間性がアレでも自然科学と人間は切り離して考えればいいよね。ニュートンがいなくても引力はあるわけでしょ。しかし学者って人間のクズみたいな奴が多すぎるけど。

 

僕は心理学科だったんだけど心理学者というのは理系へのコンプレックスがある人が多い。こないだ先輩で生理心理学の研究者の人がFacebookで「そろそろ文系理系で分けるのはやめよう!」みたいなことつぶやいてたけど醜いなあというのが実感。もともとけつの穴の小さいやつだとは思ってたけど。

 

そういうのを沢山見てるとなんか学者の業みたいなことを感じるのです。自分の学んだことを捨てられない悲哀というか。僕は幸か不幸か学者ではないけど、それでもやはり昔勉強したことから得た発想というのはしばしば出てくる。それ自体は構わないけど、つい結論ありきでものを見てしまうというのは下手をすると学者のほうが多いかもしれない。特に優等生タイプは危険だね。(僕は幸か不幸か優等生タイプではないのであります。不良じゃないのに先生から一番目を付けられる謂わばニュータイプの不良だったのです!ちなみにエッチ君はヤンキーでしたが僕は彼からも豊中イチのワルとお墨付きをいただいております。)

 

思い込みから新しい発見があることもあるだろうし理系の場合は間違ってたら結果が出ないだけで済むからいいんだけど、文系の方はたちが悪いね。一般の人は学者って言えばそれなりの知見を持った人だと考えるから誤った考えが権威として力をもつこともある。歴史学者が嘘を吐いても一般の人は分からないからそうなのかなあとなんとなく思ってしまうもので。確信犯的に嘘をついても罰されないしやりたい放題なのが実情ではないかな。

 

まあそれは悪意に取り過ぎだと考えるかもしれないけど、本人がその気がなくても結果そうであることは珍しくないと思うよ。経済なんて金本位制が崩れる前と後では全く別物であるだろうことは素人でも分かる話でしょうが、もう訳のわからない中で自分が学んだ理論に固執してしまってる人も多いんじゃないかね。

 

僕は実は精神鑑定の助手をしたことがあるけどまあ適当なものさ。あんなもんで裁判の結果に影響を与えるなんてあってはならないと思うね。僕の先生はいわゆるマスコミの御用学者で教育者としても何の熱意もない人でした。まあその露骨さが僕は好きだったんだけど(笑)。

 

いずれにしてもね、学者というものを学者というだけで信じてはダメですよ。大学で偉くなるには今だって白い巨塔の世界と大して変わりはないさ。